駆け落ちした両親
関東在住の澤田ゆう子さん(仮名・50代・既婚)の父親は、国家公務員だった。
代々続く古い家の生まれで、幼少期から家や土地を守るようにと教えられて育つ。結婚も、周囲に「身を固めなさい」と促され続け、26歳でついに観念して最初の結婚をする。
その後、子をもうけたが、通勤電車内で当時22歳で新聞社に勤める澤田さんの母親となる女性に出会う。父親が30歳の時のことだ。
父親と澤田さんの母親となる女性は強く引かれ合い、やがて2人のことはお互いの親族の知るところとなる。澤田さんの母親となる女性は、勝手に父親と会わないよう通勤時まで見張りをつけられ、会うこともままならない状況に父親は苦悩し、自殺まで考えたことも。
一方母親のほうも、無理やり親から別の縁談を持ち込まれ、それに抗い続けるような日々。
そんな中、ついに2人は監視の目をすり抜け、駆け落ちした。
妻子を捨てた父親は、国家公務員の職を失い、元妻に慰謝料を払うために、代々守ってきた田畑を売らなくてはならなくなり、跡取りであることを放棄させられた。
複数の使用人がいる商売屋の四女だった母親も、“略奪婚をした娘”という汚名を家に着せた罪を償うために、相続放棄を余儀なくされる。
その5年後、父親35歳、母親27歳の時に澤田さんが誕生した。
「その頃の父が、どうしてそんなに母に強く引かれたのかはわかりませんが、父は家というかせに抑圧されていたのかもしれません。長らく写真館前にも飾られていたというスーツ姿の当時の母の写真がありますが、今見ても若い頃の母は美しくはつらつとした魅力がありました」
職を失った父親は、金融系の仕事に転職。財産も家という後ろ盾も失った両親は、節約に勤しみ、貯金に明け暮れた。
「両親とも見栄っ張りなのですが、子供の頃は、家族で旅行や外食はほとんどしませんでした。形の残るものにしかお金を使いたがらないのです。ただ、母も働いていたので、ピアノやそろばんなどの習い事には熱心で、本だけはふんだんに買ってもらえましたが、母からは過剰な期待を寄せられているのがわかり、精神的にきつかったです」