50代の女性は高齢の母親に複雑な感情を抱いている。女性は小さい頃、感染症にかかっても母は仕事を休まず、親戚の家に預けられた。「不美人」などと容姿についてあしざまに言われた。帯状疱疹でつらい状態に陥った父親を前にするとオロオロして泣くばかり。要介護3となった父を必死にサポートする女性は“戦力”にならない母を「何度もぶん殴ってやろうと思った」という――。(前編/全2回)
手をつないで歩く母娘のシルエット
写真=iStock.com/Nadezhda1906
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

駆け落ちした両親

関東在住の澤田ゆう子さん(仮名・50代・既婚)の父親は、国家公務員だった。

代々続く古い家の生まれで、幼少期から家や土地を守るようにと教えられて育つ。結婚も、周囲に「身を固めなさい」と促され続け、26歳でついに観念して最初の結婚をする。

その後、子をもうけたが、通勤電車内で当時22歳で新聞社に勤める澤田さんの母親となる女性に出会う。父親が30歳の時のことだ。

父親と澤田さんの母親となる女性は強く引かれ合い、やがて2人のことはお互いの親族の知るところとなる。澤田さんの母親となる女性は、勝手に父親と会わないよう通勤時まで見張りをつけられ、会うこともままならない状況に父親は苦悩し、自殺まで考えたことも。

一方母親のほうも、無理やり親から別の縁談を持ち込まれ、それに抗い続けるような日々。

そんな中、ついに2人は監視の目をすり抜け、駆け落ちした。

妻子を捨てた父親は、国家公務員の職を失い、元妻に慰謝料を払うために、代々守ってきた田畑を売らなくてはならなくなり、跡取りであることを放棄させられた。

複数の使用人がいる商売屋の四女だった母親も、“略奪婚をした娘”という汚名を家に着せた罪を償うために、相続放棄を余儀なくされる。

その5年後、父親35歳、母親27歳の時に澤田さんが誕生した。

「その頃の父が、どうしてそんなに母に強く引かれたのかはわかりませんが、父は家というかせに抑圧されていたのかもしれません。長らく写真館前にも飾られていたというスーツ姿の当時の母の写真がありますが、今見ても若い頃の母は美しくはつらつとした魅力がありました」

職を失った父親は、金融系の仕事に転職。財産も家という後ろ盾も失った両親は、節約に勤しみ、貯金に明け暮れた。

「両親とも見栄っ張りなのですが、子供の頃は、家族で旅行や外食はほとんどしませんでした。形の残るものにしかお金を使いたがらないのです。ただ、母も働いていたので、ピアノやそろばんなどの習い事には熱心で、本だけはふんだんに買ってもらえましたが、母からは過剰な期待を寄せられているのがわかり、精神的にきつかったです」