結婚して、ひとつ屋根の下に暮らしたら伴侶には「別の顔」があり戸惑った。そんな夫婦は少なくない。50代の男性会社員は高校時代から20代にかけて彼女がいない時期がなく、常時複数人と交際。結局、28歳で女性教員と入籍したが、寝食を共にするうちに妻の行動の一つひとつに違和感を覚え始めたという――。(前編/全2回)
手をつないでいる男女
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ある家庭では、ひきこもりの子供を「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーは生まれるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破る術を模索したい。

今回は、10年以上前に熟年離婚を計画し、実行するに至った50代男性の事例を紹介する。彼の家庭のタブーはいつ、どのように生じたのだろうか。タブーのはびこる家庭という密室から、彼はどのように逃れたのだろうか――。

モテ男子

現在、中部地方在住の狩野遼さん(仮名・50代)は、警察官の父親、専業主婦の母親のもとに、長男として誕生。警察官の父親は、狩野さんいわく、「家族に優しく自分に甘く、長男である自分に対してとりわけ厳しい人」で、「地球上で一番キライな人間」だった。

一方、専業主婦の母親は、父親の狩野さんに対する神経質な対応や、厳しい仕打ちから何かとかばってくれる優しい人。4歳下の妹とは、周囲からうらやましがられるほど仲が良かった。

小学校に上がった頃、すでに「何となく同級生を幼く感じた」という狩野さんは、中学生になると、身長は170センチを超え、スポーツは人並みだが成績は常に学年で10位以内をキープしていたことから、女子にモテ始めた。

やがて高校は県内で一番の進学校へ。男子校だったため、登下校中に何人もの女子から直接アプローチを受けたり、手紙をもらったりするように。

異性を好きになる絶対条件が、「相手が自分を好きであること」だと語る狩野さん。だが、高校が男子校だったため、同年代の異性との接触は登下校時しかない。登下校時に「いいな」と思う女性はいたが、その女性が自分を好きかどうかはわからないため、自分から告白することはなかった。

高校1年のバレンタイデー。いくつかチョコレートをもらい、その中の1人の女子と交際をスタート。やがて童貞を捨てたのが高2年の秋。大学入学までは交際していたのはその1人だけで、他の女性とはお茶を飲んだり食事をしたりする程度の清い付き合いだったという。

彼女と別れたのは大学1年の夏。男子校から大学に進学した途端、周囲に異性がいる環境に浮足立った狩野さんから別れを切り出したのだ。

「今振り返っても、その時の彼女が人生で一番好きな子でした。でも、私が女性に一番求めるのは、『私を好きでいてくれること』です。その点では彼女に不満は一切ありませんでしたが、他にもっと私を好きになってくれる女性が現れると、私は揺れました。付き合っているときはどの女性も好きでしたが、私自身がその女性のことをどれくらい好きだったかが分かるのは、いつも別れてから。このことは、50代になった今も変わらないのが、私の愚かなところなんでしょうね」

そんな狩野さんは、高校1年の2月から結婚まで、彼女が1人もいなかった日は1日もなかったという。