もともと心臓が悪かった父親がコロナ禍に他界した直後、今度は母親がおかしくなった。青年海外協力隊で出会った外国人男性と離婚して出戻った40代の長女は両親を必死に介護。認知症と診断され、日常生活が送れなくなる母親に振り回される日々。疲労困憊の中、癒やしの存在となってくれた存在のひとりが、小6になった息子だった――。
急行する豊中市の救急車両
写真=iStock.com/Martin Dimitrov
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【前編のあらすじ】早瀬須美さん(40代・独身)は大学を卒業後、企業に勤めていたが、小さい頃から憧れていた青年海外協力隊に25歳の時に参加。西アフリカの小国で現地の男性と恋に落ち、帰国後に結婚。しかし約4年後に夫の不倫が原因で離婚すると、1歳半の息子とともに実家に転がり込む。仕方なく受け入れた様子の両親だったが、孫をかわいがる両親との生活は穏やかに過ぎていった。だが、2021年、父親が腰の痛みを訴え、救急搬送された――。

父親の入院

それは2021年4月のことだった。深夜、「痛くて眠れないから救急車を呼んでくれ」という父親(86歳)は病院に救急搬送された。同居していた、長女で出戻りの早瀬須美さん(40代・独身)は入院手続きを終え、父親がベッドで落ち着いたのを見届け、母親(83歳)と息子(10歳)と帰宅した。

検査の結果、父親は腰の骨を圧迫骨折していたことが判明。しばらく入院することに。

3年前、早瀬さんはセミナーやカウンセリングをする会社を起業していたが、父親の入院を機に2日に1回、母親とともに病院を訪れる生活が始まり、仕事をセーブすることに。

6月。入院中の父親は、敗血症と心筋梗塞を起こして心肺停止に。慌てて早瀬さんと息子、母親が駆けつけると、父親は集中治療室で一命を取り留める。主治医によると、もともと弱かった父親の心臓が、年齢のため、さらに弱ってきているとのことだった。

7月。心筋梗塞を改善する手術を行おうとするが、体力的に難しいと判断し、断念。

9月。コロナで面会制限に。それでも早瀬さんは、母親を連れて、2週間おきにPCR検査を受けて父親に面会する。

10月。ひどい便秘が原因で大腸に穴が空き、手術。人工肛門に。

12月。父親は要介護5になっていた。血圧が非常に低く、足にもチアノーゼが起こるため、絶対安静状態。それでも父親は「自宅に帰りたい」と言うため、早瀬さんも、「帰してあげたい」と主治医に伝えていた。だが、なかなか許可がおりない。

「父はほぼ寝たきりでしたが、意識はしっかりしていました。父は入院中も自ら、『認知症予防』と言って、クロスワードや将棋などをやっていたので、その効果なのではないかと思います。自分でご飯を食べることはできましたし、リハビリを通して、ゆっくりなら5メートルくらいは歩けました。筋力はあっても、心臓への負担が原因で長くは歩けなかったのです。ただ、子どもは面会できなかったため、私が、『息子に会わせてあげたい』という気持ちもありました」

ようやく退院が決まったのは、2月の末のことだった。

ところが、その退院予定日の朝、早瀬家に病院から電話がかかってきた。酸素量が低く、呼吸がゼーゼーと荒いため、退院できないことに。さらにコロナ患者増加の影響により、2週間に1度程度に面会を制限される。

そして5月。父親の容態が急変。コロナ禍で面会ができない状況が続いていたが、病院の配慮で一人部屋へ移動できることに。電話を受けた早瀬さんたちが駆けつけると、2週間ぶりに父親と対面することができたが、父親はすでに息を引き取っていた。

早瀬さんたちが病室へ到着すると、担当医が死亡確認。その後、エンゼルケアが始まった。

「たまたま前日から兄が来ていて、帰る予定の朝のことでした。『きっとお父さんは、みんながそろっている日とわかってたんだね』と話していました」