兄妹の思春期

思春期に入っても、ズボンを履かせてもらえなかった黒島さんだが、だからといって母親は、女の子らしいファッションが好きだったというわけではなかった。

「母は、周りから娘がチヤホヤされ、『さすがお母様ね』と言われるためだけに私に可愛い服を着せて、オシャレをさせていただけです。だから、私がパンツが見えるのを恥ずかしがったり、脚のムダ毛を気にし始めてズボンをほしがった時や、可愛い下着をほしがった時は、『ガキのくせに色気付きやがって!』と激怒し、叩かれました。自分の娘を着飾らせたいけれど、本人がオンナに目覚めるのは許せない……という娘への対抗心があったのだと思います」

中学で所属していたバトン部のコーチから促されて、「そろそろブラをしたい」と伝えた時も、母親は「ふーん。いいけど」と、冷たい態度でしぶしぶ買ってくれた。

一方、思春期には兄も苦労していたようだ。兄が中2の時、友だちからもらい、部屋に隠していた女性のヌード写真が掲載された雑誌が母親に見つかってしまう。すると、「誰にもらったの!? ◯◯君!? じゃあ、今から◯◯君のお母さんに電話するから!」と取り乱す母親。途端に、「やめてくれよ!」と叫ぶ兄。まるで恋人の浮気が発覚したかのような修羅場が繰り広げられた。

以降、兄は明らかに家族を避け、口も聞かなくなった。そして大学進学を機に家を出ると、母親にも妹にも住所を教えなかった。

病みゆく母親

黒島さんは高2のとき、「母は精神的に病んで通院しているのではないか?」と気づいた。母親の机の上に処方箋が置かれていたのを見つけたのだ。

当時、母親はパートで働いていたが、同僚に対する愚痴が多くなったかと思ったら、休みの日に寝込む、突然泣き出す、突然笑い出す、夜中に黒島さんの部屋に怒鳴り込んでくる、酒を飲んで暴れる……など、奇行がエスカレートしていく。

また、授業中に何度も電話をかけてきたり、「駄目な母でごめんなさい。もう死にます」「私が死ねばいいと思ってるんだろ!」「無視するな!」など、支離滅裂な長文メールや留守電が一日中入ってきたりということが続いたかと思うと、「私のこと病気だと思ってるんでしょ?でも鬱じゃないって先生が言ってたもん!」と呂律の回らない口調でまくし立ててきたこともあった。

「母は暴れ出すと、祖母や飼っていた犬にも暴力を振るう、鉢植えや自転車を投げて窓ガラスを割る、昼夜問わず突然わめき散らす、わざと酒を飲んで車で家出をするなどをしました。逃げようか、誰かに相談しようか。こちらのそんな気持ちを見透かしたかのように、母親は『おばあちゃんと犬がどんな目に遭うか分からないよ』と脅すので、結局できませんでした」

壊れたガラス
写真=iStock.com/ivansmuk
※写真はイメージです

ただ、当時付き合っていた社会人の彼氏に「お母さんが暴れている」と怯えて電話をすると、車で迎えに来てしばらくかくまってくれた。

ある時、黒島さんの彼氏に会った母親は、「あら~! 男前じゃないの~!」とベタベタとボディタッチ。彼氏から無理矢理電話番号を聞き出すと、何度もかけてきては、「娘ばっかりじゃなくて私のことも構いなさいよ!」とすごい剣幕で怒った。

母親が病んでいくに従い、祖父母は育てた責任を感じている様子だったが、祖父はどうしたらいいのか分からず、腫れ物に触れるように接するばかり。対照的に、祖母は、一生懸命向き合おうとしていた。

「祖母は、幼い子供を慰めるような口調で母を抱き寄せることもあり、精神的にボロボロだったと思います。私は何度か祖母と犬だけでも連れてどこかへ逃げてしまおうかと思いましたが、すぐに連れ戻されると思い、直接手を差し伸べることができず、祖母には苦労をかけました」

(以下、後編へ続く)

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