なぜ「病気で入院中」を隠してしまったのか

人と会えなくなったからといって、必ず孤独になるわけではありません。条件で付き合う相手を選ぶような人や正当な主張を受け入れようとしない人と付き合わないでいられたら、むしろ清々するといっていいくらいです。

そのような人が目の前から消えても孤独だと思わなくてもいいのは、自分を受け入れてくれる人が他に必ずいるからです。このことは私も実感したことがあります。

癌であることがわかった作家が、「終わった人」と思われたくないので、病気であることを編集者に隠していたという話を聞いたことがあります。

私も心筋梗塞で倒れた時に、近く出版されることになっていた本の校正刷りが届いたのですが、編集者に入院の事実を明かしませんでした。今から思えば、病気で入院中なので締め切りを延ばしてほしいといえばよかったでしょうし、病気を打ち明けたとしても出版が取りやめになったはずはないのですが、私はそれを恐れたのでした。

実際、入院したために、その時教えていた学校の講師の職を解かれるということが起きたのです。次の週に出講できないのであれば、すぐに代わりの講師を探さなければならなかったからなのでしょうが、1カ月で退院できると主治医にいわれていたのですぐに復帰するつもりでいた私は、この解雇を不当だと思いました。

常勤であればこのようなことにはならなかったでしょう。私の生命よりも、次の週に休講しないことの方が大事なのかと思いますが、私自身が入院していることを伏せて校正の仕事をやり遂げようと思ったのですから、私も学校も根底にあるものは同じなのです。生命よりも仕事が大切だという考えです。

いつでも生命より仕事が優先されているわけではない

このようなことがあった時に、一つの考え方は、仕事なのだから他の誰かが代われるのであれば、他の人が引き継ぐのが当然だということです。

一見、もっともらしい理屈ですが、病気や、先に見た力士のようにコロナウイルス等の不可抗力によって仕事を切られると、代わりはいくらでもいると、生命よりも仕事が優先されていると思うからです。このような経験をすると、この世界は殺伐とし人を信じられないと感じてしまいますが、いつもそのようなことばかり起きるわけではありません。

この時、私にとって幸いだったのは、別の学校からは、必ず復帰してほしいといわれたことでした。この言葉が励みになり、入院したのは4月でしたが、6月には教壇に立つことができました。