正しく判断するためには孤独である覚悟が必要

次に大切なのは、自分の置かれている状況で何をするのが必要なのかを正しく判断できることです。その判断のためには、知性が必要です。正しく判断するためには、孤独である覚悟も必要です。

三木清は次のようにいっています。

「すべての人間の悪は孤独であることができないところから生ずる」(『人生論ノート』)

人からよく思われたい人、孤独を恐れる人はいうべきことをいわず、するべきことをしません。

孤独を恐れる人は、職場の不正を知ってもそれを告発しないかもしれません。あるいは、不正までとはいわないにしても上司や同僚の主張がおかしいと思っても、あえて異を唱えようとしないかもしれません。職場の和を乱すようなことや、何よりも上司や同僚からよく思われないことを恐れます。そうなると、職場に悪が蔓延はびこります。他者からどう思われるかを恐れず、いうべきことをいえば、孤独になるかもしれませんが、悪は蔓延はびこりません。

通路を歩く人
写真=iStock.com/AlexLinch
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怖いことを怖いといわせない社会は怖い

自分が人からどう思われるかということと、正義や理に適っていることのどちらを優先させなければならないか――それは自明のことだと思うのですが、悪を告発すれば、人からよく思われないばかりか、不利な立場に置かれてしまうのが現実です。

新型コロナウイルスへの感染を恐れて休場を申し出た力士が、そのような理由で休場するのは認められないと相撲協会からいわれ、引退を余儀なくされました。同じく感染対策を理由に結婚式への出席を拒んだために、親戚同士がいがみ合うようになったという話も耳にします。あるいは「感染が落ち着いてきたから、リモートワークはしないで出社するように」と会社からいわれたら、断ることは難しいでしょう。「コロナと結婚式とどちらが大事なのか」と迫る親戚と今後も長く付き合わないといけないとしたら、無下には断れないかもしれません。出社を断れば、仕事を失うはめに陥るかもしれません。

たしかに現実的には正義や理を貫くのは困難なことがあります。しかし、生命の危険を冒してまで他者の意向を忖度そんたくしなければならないのかは考えなければなりません。怖いことを怖いといわせない社会は、コロナウイルス以上に怖いです。