アスリートファーストの観点からすれば「異常な大会」
まず、過密日程による選手への負担だ。今年の夏の甲子園は8月6日から8月22日までの17日間が予定されており、この日程だとベスト16に残ったチームはそこから5〜6日間で最大4試合を戦うことになる。
地方予選にしても、都道府県によって参加校にばらつきはあるもののその日程は過密である。たとえば佐々木選手が高校生だった2019年度の岩手県大会では66チームが参加し、決勝に進んだ大船渡高校は10日間で6試合を戦った。
これに加え、夏の大会では炎天下による開催が懸念されている。グラウンド上の体感温度は40度を軽く超えるという。日常生活を送るうえでも熱中症の危険がともなう真夏の日中にスポーツをするのは、明らかに常軌を逸している。
高校球児の健康を優先するなら、可及的速やかに過密日程と炎天下での開催は見直すべきである。これにはおそらく異論はないはずだ。高校時代の佐々木選手だって、もし試合間隔が緩やかであれば決勝戦で登板できたかもしれない。国保監督が苦渋の決断を迫られることもなかっただろうし、もしそうなら誹謗中傷に晒されることもなかっただろう。アスリートファーストの視点で考えれば、甲子園は控えめにいっても異常である。
手塩にかけて育てた「優良コンテンツ」を手放したくないマスコミ
少し考えれば誰もがその異常性に思いが及ぶこうした大会が、なぜ今日まで続けられてきたのか。それは大会を主催する側と観る側の「もたれ合い」である。
日本高等学校野球連盟(以下、高野連)とともに、春の選抜大会は毎日新聞社、夏の大会は朝日新聞社が主催している。両メディアにとって甲子園は紙面をにぎわす重要なコンテンツである。発行部数にも直結する優良コンテンツの甲子園を、老若男女を問わず日本中が注目する大会へと長きにわたって育ててきた両メディアが手放すはずがない。
また、高校球児が躍動する甲子園を毎年楽しみに待つファンは、日常生活を彩るエンターテインメントとしてこよなく愛している。暑さにめげず、苦難を乗り越えようとひたむきにプレーする姿に目を奪われ、そうして彼らが奮闘するさまをつづった記事を読んで心を震わせる。
つまり両者の欲望は一致する。だから現行の方式はできるだけ変えたくない。「苦難を乗り越えようとひたむきに頑張る高校球児の健気さ」、この出来合いの物語に主催者とファンが寄りかかっている。他でもない当事者である高校球児を置き去りにして。
そして直接関わりを持たない私たちもまた、おかしいと気づきながらなにも主張しないのであれば、主催者とファンのもたれ合いに加担していると言わざるを得ない。
こうして過剰に意味づけされた甲子園が「あこがれの舞台」として独り歩きし、勉学や恋愛など、すべきことやプライベートを犠牲にしてまでも打ち込む価値があるのだと、高校球児に刷り込んでいる。ここに、そろそろ終止符を打つべきである。