「目先の甲子園」ではなく「佐々木投手の将来」を見越した采配

決勝戦の翌日、大船渡高校には佐々木選手を登板させなかったことへの苦情が殺到した。その数は2日間で200件を超えたという。なかには学校に乗り込むという脅迫めいた内容が含まれており、事態を重くみた学校側は警察に通報し、パトカーが出動する騒動にまでなった。また、敗れた決勝戦後にインタビューを受ける国保監督に向けて観客席からは野次が飛んだ。佐々木選手の起用をめぐる社会の過熱ぶりはすさまじかった。

あれからわずか3年後に、佐々木選手は完全試合を達成した。当時、激烈な批判に晒された国保監督をはじめ、同校野球部員とその保護者および大船渡高校の関係者は、さぞかし溜飲を下げたことだろう。いや、おそらく安堵感に満ち満ちているに違いない。

世間の逆風にめげることなく自らの責任をまっとうした国保監督の慧眼と、彼の決断を尊重して受け入れた関係者の勇気に、あらためて敬意を表したい。それと同時に、一時の感情に流されて苦情を申し立てた人たちには、自らの近視眼的な思考をしっかり省みていただきたい。

佐々木選手の将来を見越し、誹謗中傷にも屈しなかった国保監督はスポーツ指導者の鑑であると私は思う。

「春夏の風物詩」に向けられる疑問

佐々木選手は甲子園を経ずにプロ野球選手となり、20歳という若さで大記録を達成した。地方予選を勝ち抜いた高校が鎬を削る全国大会を、佐々木選手は経験していない。甲子園の土を踏まずともプロ選手として大成する道筋を、国保監督と佐々木選手は身をもって示してくれたわけである。これを契機として、ここからは若年層にとっての全国大会についてあらためて考えてみたい。

いうまでもなく甲子園は春夏の風物詩として親しまれている。一所懸命に白球を追う高校生たちのひたむきな表情には、つい目を奪われる。勝てばよろこび、負ければ悔しがる。惜しげもなく感情を表出させる、裏表のないその爽やかさは観る者の心をつかんでやまない。おらが町を代表して戦う彼らに、郷愁がともなう共感を寄せて応援する人も多い。

春の選抜大会は今年で94回目、夏の大会は104回目を迎える、いわば伝統行事として社会に定着した甲子園だが、近年になってその開催にはいくつかの疑義が呈されている。