野球を愛する者が集う、名もなき公立高校野球部の物語
大阪にある府立枚方なぎさ高校(以下、なぎさ)野球部顧問・磯岡裕さん(44歳)は、突然、中学生男子に話しかけられた。
「あの……中学でテニス部なんですが、高校では野球をやりたいんです」
2020年の秋、高校入試を控えた中学生向けの学校PRの合同説明会でのことだ。振り向くとそこには小柄な男子がいた。
「ええやないか。大歓迎やで」
磯岡が顔をほころばせて返した。数カ月経った2021年秋、甲子園を目指しての大阪府大会初戦。対戦相手は強豪の履正社だ。その試合に、あのとき声をかけてきた男子は1年生にしてセカンドのポジションで出場した。
そして、さらに約半年後の2022年3月。コロナ禍による対外試合がようやく解禁された直後の練習試合。今年度の開幕ピッチャーは、なんとチームでもっとも背が低い(158cm)この男子が先発マウンドに上がっていた
元テニス部でキャリアは浅い。ところが彼はフォームに癖がなく制球が良かった。ボールは面白いようにストライクゾーンに収まった。
試合を見守った顧問の磯岡が振り返る。
「(球速)110キロぐらいなんですが、丁寧に投げるからストライクの枠に来よるんです。大崩れしないで、ゲームになりました」
しかし、なぜ元テニス部で前年までセカンドの選手が投手を務めているのか。実は、エース格だった新3年生が病気で離脱してしまったのだ。他チームなら、控え投手がいるはずだが、同校にはこれといった選手がいない。
投手だけでなく部員そのものが足りないのだ。磯岡が嘆く。
「新2年生が4人辞めまして、3年と2年でいまは8人です。人数がカツカツで。苦しいです」
一人が辞めるとまた一人、また一人と続いてしまったのだという。磯岡が続ける。
「教員人生、17年目が終わろうとしてるんですが、ここまで苦しいのは初めてです」
以前、母校の府立牧野高で監督をしていた時、9人だったことがあったという。春季大会、3年と2年で4回戦まで勝ち進んだ。エースがシニア野球(中学の硬式野球)経験者で奮闘した。だが、今、なぎさのエースは“テニス部上がり”なのだ。