「ミスマッチ」を避けるためのリーグ戦という方法

では現実的にどのような変革が為されるべきであろうか。

過密日程の緩和と炎天下での開催の回避に加えて、私は、トーナメント戦の廃止を提案したい。トーナメント戦だと、決勝まで勝ち残ったチームは最もたくさん試合を行えるが初戦で敗退すれば1試合しか行えない。いわば、多数のスポーツ推薦入学者が所属する強豪校が結果として優遇される仕組みである。優勝を決める、つまり勝ち負けを際立たせるには実にわかりやすい仕組みだが、その反面、各チームの試合数には偏りが生まれる。

屋外で野球の練習
写真=iStock.com/Tomwang112
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2020年から球数制限とタイブレーク制を導入するなど、球児の負担を軽減するために高野連も改革を試みてはいる。これらはおおむね歓迎すべきであるとしても、抜本的な解決策とはいえない。

試合時間の短縮が見込まれるタイブレーク制はよしとしても、球数制限は複数の投手を育てる必要性から有望選手をはじめ多くの部員を抱える強豪校には有利に働く。部員数が少なく限られた人数で戦わざるを得ない高校は不利になり、不公平が生じる。リーグ戦で各チームの試合数を限定して登板間隔に余裕を作り、試合数の偏りをなくせば多くの高校が恩恵をあずかる大会になるはずだ。

高校ラグビーの全国大会である「花園」もまた同じである。毎年ベスト8には限られた高校が名を連ね、それ以外は早々に敗退し、なかにはありえないような大差で敗れて失意のもとに大会を去るチームもある。実力差が大き過ぎるチーム同士の試合を「ミスマッチ」というが、これは敗者にこのうえない無力感を植えつけ、勝者にさえもカンの狂いと慢心をもたらす。

つまりミスマッチは両チームともに不毛であり、できる限り行わないのが望ましい。それには競技力によってリーグ分けし、それぞれで優勝を決めるリーグ戦を行えばいい。

教育目的のスポーツでは無理に「一番」を決める必要はない

スポーツは試合をするから楽しい。なにより試合経験は選手を成長させる。負けまいとして懸命になる舞台において、重圧を押し退けるために心が鍛えられ、適度な緊張感が肉体の限界を押し広げる。チームスポーツならチームメイトと積極的にコミュニケーションをとるなかでソーシャルスキルも身につく。教育を目的とする若年層のスポーツでは、「一番」を決めることよりも子供たちに多くの試合経験を提供することが望ましい。

社会ではいや応なく「少子化」が進む。子供の母数は減る一方である。この社会的背景において、一部の子供だけが陽の目を見るような運営を試みるスポーツは遅かれ早かれ衰退するだろう。そうではなく、誰ひとり取り残さず全体の底上げを図る仕組み作りに舵を切らなければならない。その一案として、ふるい落としのトーナメント戦ではなく、出場校には最低限の試合数を保証するリーグ戦への切り替えがある。

甲子園も花園も、プレーをするのは心身ともに発達途上の高校生である。成熟した大人が職業として行うプロスポーツではないのだ。興行性に重きを置くのではなく、あくまでも教育の一環である原点に立ち返って、これからのあり方を模索する必要がある。エンターテインメントとして消費するのではなく、若者の健康と教育を重んじる仕組みへの大転換が、いま、求められている。

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