大事なのは言葉そのものではなく文脈

スルーしないためにうまくいかない理由、それは「文脈」が無視されているということです。問題の場面では文脈がくまれず、ただ字義通りに受け取られて言葉が機能不全に陥ってしまっています。

通常、怒られて「家に帰れ!」と言われても帰ることはありません。「家に帰れ!」と言われて帰らない人は、上司の言葉を“スルー”しています。しかし、スルーすることで言葉は機能しています。

スルーするとは、文脈を踏まえることで言葉にフィルターをかけ、自分の価値を付加し、コミュニケーションや仕事を機能させることであることが、こうした仮定を見ることでよくわかります。

メガホンを通して叫ぶ男の子
写真=iStock.com/Andrew Rich
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話を聞いているのに「聞いていない」と言われる理由

文脈を踏まえるとは、「自分の文脈」で言葉や仕事に接するということです。

人間は成長する中で、「他人の文脈」「場の文脈」などを取捨選択しながら「自分の文脈」に統合していきます。

守破離という言葉があるように、仕事でも新人から中堅、ベテランと習熟していくのは、「自分の文脈」が育まれていくということにほかなりません。

特に、仕事が複雑になってくるほどに「文脈」の重みは増します。

真面目な人ほど「人の言葉をそのまま正確に受け取ることが大切」ということばかりに気を取られて、「文脈」を捉えることができなくなってしまっているのです。

先に見た、人の話を聞いているのに「聞いていない」と怒られてしまうのは、こうした事が原因であると考えられます。

その結果、萎縮して、「文脈」ではなく、相手の「機嫌」をうかがうようになり、「字義通り」と「機嫌」とを行ったり来たりするようになり、いつまでたっても「文脈」にたどり着けない悪循環に陥ってしまうことも珍しくありません。

ひろゆきの言葉が強い根本的な理由

「自分の文脈」を持つことは社会からも歓迎されます。

ここまで解説してきましたように、スルーするとは自分の文脈によって言葉にフィルターと自分の価値を付加することです。そうして初めて言葉が機能する、言葉に命が宿るのです。

ひろゆきさんというと「論破」で有名ですが、相手に振り回されず言葉をスルーできるのは、決して論理やメンタルの力によるものだけではありません。

実は背景として「自分の文脈」をしっかりと持っている、ということがあります。そのことが単に論破することだけにとどまらない影響力をひろゆきさんの存在に与えています。

「自分の文脈」を持つことで、論理の合わないものはフィルターがかかり、自分の視点が付加されることになる。これは、社会から見た言葉やコミュニケーションの機能に適合的なのです。

ひろゆきさんの言葉が強い力を有する理由の一つは、そのためだと考えられます。

反対に、言葉を真面目に受け取ってただ渡すだけでは、文字通り“単純再生産”ということになり、なんの価値もそこに生まれません。ただ、権威や俗論を“拡大再生産”したような言葉も同様です。影響力など持ち得るはずもありません。