今にも起きてきそうな、安らかな顔だった
メイクをした先生はまるで眠っているような安らかな顔だった。みんなが「眠っていて、今にも起きてきそう」と言っていた。頭も剃ってもらい、死に装束としてちりめんの紫の直綴を羽織り、今にでも法話をしてくれそうだ。先生のその姿を見て、本当に信じられなかった。
火葬場まで行き、先生のお骨を拾っても、実感がなかった。親族の方の許可をもらい、先生の遺骨を分けてもらった。右手と左手の指の骨。先生は、私がこれからも書き続けられるようにと強く願ってくれていたから、そうできたらいいなという願いもこめて。
先生の遺骨はメモリアルジュエリーとして指輪にして常に身につけておきたいと考えている。先生がいつもそばにいる、そう感じることができるならこんなに心強いことはないだろう。
忙しくしている日々の中でも、ちゃんと死に目にも会って、最後までそばにいられたのに、私はいまだに実感がない。毎朝、お堂に行き、先生の遺骨に話しかけるけれど、この状況自体がまるでフェイクのよう。
バタバタと忙しくしていても、先生のためではなく、先生の知り合いの人のために、先生に言われて私たちが必死に働いているような感覚で、終わったら先生が、「よく働いたね、疲れたでしょう、ビールでも飲もう!」と労ってくれるような気がしてならない。そんな中でも、息子がいることで毎日をなんとかこなせているとも感じた。
「死んだらチビのこと守ってあげる」と言ってくれた
どんなに悲しくても、苦しくても、息子を保育園へ送り迎えし、ごはんを食べさせ、お風呂に入れて寝かしつける。もし独りだったら、きっと部屋で泣いて落ち込んで食事もとらないだろう。
けれど、息子がいると、すべてを投げ出してしまいたくともそういうわけにはいかない。どんなことがあっても時間を止めてはいられないのだ。
先生が亡くなって2日後、息子を先生に会わせた。何もわかっていない息子は、先生がいつものように眠っていると思っていて、「よしよししてあげて」と言うと先生の頭を撫でた。その後すぐに、テーブルの上の原稿用紙に「ジジ!(字や絵をかくこと)」と言って、ペンを持ち、絵を描き始めた。息子にとってはそれがいつもの先生との過ごし方だったからだ。先生ともう会えないことも、先生にもう抱きしめてもらえないこともわからない息子。
何もわかっていないがゆえの笑顔と明るさに何度救われただろう。私独りじゃきっと、悲しみの沼に深く、深く沈み込んでいただろうから。先生が愛してくれた息子がいるから大丈夫、とも思えた。生前先生は、「死んだらチビのこと守ってあげる」と言ってくれていた。心強いね。
最後に手紙を書き、それを棺の中に入れた。「先生、私からの最後の手紙。今まで本当にありがとうございました」とお礼を言いながら。花に囲まれ、寂庵の庭の紅葉や花々にも包まれた先生はきれいで、最後まで眠っているようだった。