※本稿は、名越健郎『独裁者プーチン』(文春新書)の一部を再編集したものです。
ペテルブルク副市長時代の「2つの疑惑」
プーチンは、KGB(ソ連国家保安委員会)の出向としてレニングラード大学に勤務した後、改革派政治家として売り出していた恩師、サプチャク=ペテルブルク市長の顧問を経て、九一年副市長に起用された。市役所では、サプチャクの片腕として対外関係委員会委員長、副市長、第一副市長と昇格。KGBは九一年八月、ソ連保守派が決起したクーデター未遂事件後退役した。
副市長時代、西側との貿易や投資受け入れ、国際会議開催など市の対外経済案件のほとんどに関与した。政界や財界に人脈を広げ、飛躍のきっかけをつかんだ。
「この五年間は、その後のモスクワでの大統領府での仕事に比べ、より多くのものを与えてくれた。大統領就任後の私しか知らない人は、私がペテルブルクで働いた七年のことを忘れている」
だが、辣腕を振るったことが、不正疑惑や危険な事態を招くことになる。
副市長時代の不正疑惑は二件あり、一つは不正資源輸出だ。九一年からペテルブルクは食糧不足が深刻化し、プーチン副市長は木材や石油製品を輸出し、その代金で食料を購入する事業を担当したが、実際に輸入された食料品は少なかった。不当なカネの流れがあったとの疑惑が生まれ、市議会が調査した。調査報告は、プーチンには職務執行能力が欠け、調査にも非協力的だったとし、プーチンと側近の解任を求めた。しかし、この件はうやむやになった。
マフィアとの癒着、夫人暗殺未遂…
もう一件は、プーチンが顧問を務めたペテルブルクの不動産会社がロシアとドイツで資金洗浄をしていた疑惑で、ドイツ検察当局は二〇〇〇年に不動産会社を捜索した。同社はロシアのマフィア組織やコロンビアの麻薬密売組織の資金を洗浄していたことが判明。ドイツで盛んに報道され、プーチンが同社社長と親しいことも分かった。プーチンと闇組織の関係を示唆しているが、これも真相はうやむやのままだ。
プーチンは市の財政好転のため、ギャンブル産業の掌握を図り、カジノの公有化を推進した。市が五一%の株式を保有するギャンブル産業の持ち株会社も作ったが、これが業者の反発を買い、敵を作った。
九四年、リュドミラ・プーチン夫人が娘を乗せて市内を運転中、交通事故に遭い、重傷を負った。交差点で一台の車が赤信号を無視し、猛スピードで横腹に追突したという。リュドミラは背骨を損傷し、全快まで数年を要した。