この一件はエリツィンに報告され、エリツィンはプーチンの発揮した忠誠心を評価し、注目し始めた。
当時のロシアは、九八年の金融危機で深刻な経済危機に沈み、病弱なエリツィンは完全に政治力を失っていた。社会に絶望感や退廃ムードが広がり、世相は暗かった。首相のプリマコフが台頭し、「ファミリー」はプリマコフが政権を握った際の刑事訴追を恐れていた。エリツィン退陣を前に、強力な後継者擁立の必要に迫られていた。
プーチン擁立に中心的役割を果たしたのが、後にプーチンの政敵となり、英国に亡命する新興財閥のボリス・ベレゾフスキーだったことが、マーシャ・ガッセンの新刊『顔のない男 ウラジーミル・プーチンの異例の昇進』(米ペンギン社)で明らかになった。
モスクワ生まれのガッセンは八一年、ユダヤ系の両親とともに米国に移住。九一年に記者としてロシアに戻り、現在はロシアのネットメディアで働きながら、ニューヨーク・タイムズなど欧米主要紙に寄稿する。
賄賂を要求しなかったのはプーチンが初めてだった
一二年三月一日付で出版された同書は、強烈なプーチン批判の暴露本だ。「プーチンは顔のない小柄で小物の人物。シニカルで暴力的。クレムリンに冷酷なニヒリズムを持ち込み、被害妄想となった。無感情で残酷、慈悲心がなく、腐敗している」と酷評する。
ガッセンは独自取材も含め、プーチン時代に起きた一連のテロ事件や暗殺事件の闇を暴こうとしている。大統領選直前に米国で出版されたことは、クレムリンの陰謀理論を刺激したはずだ。
ガッセンはロンドンでのベレゾフスキーとのインタビューを基に、プーチンの後継擁立の経緯をこう書いた。
「ベレゾフスキーによれば、エリツィン後継候補の顔ぶれはお粗末で、能力も低かった。政治力や野心、発信力のある人材は既にエリツィンを見限っていた。ベレゾフスキーを含むエリツィン周辺のファミリーは焦っていた。
自動車ディーラーから事業を始めたベレゾフスキーは九〇年、ペテルブルクでプーチンに初めて会い、国産車の販売チェーン店設置を要請。プーチンは賄賂を要求せず協力し、好印象を与えた。ベレゾフスキーに賄賂を要求しなかった官僚は、プーチンが初めてだった。ペテルブルクに行くたびに、市役所のオフィスを訪ねた。プーチンがモスクワに来てからも頻繁に会った。FSB本部の長官室にプーチンを訪ねると、プーチンは『盗聴の恐れがある』として、エレベーター内での会話を主張した。