※本稿は、西田亮介『17歳からの民主主義とメディアの授業 ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。
政府の介入を「不自由だ」と考えるアメリカ社会の価値観
【先生】自由だけれど、弱者が十分救済されない社会。これは要するに、アメリカですね。
たとえばコロナ禍において、アメリカの失業率は先進国中トップで、2020年の4月には14%を超えました。それに対して日本の失業率は3%前後でした。ほとんど増加していません。
アメリカの社会にはいくつかの根底的価値観があって、国民皆保険、国民皆年金も含めて連邦政府がさまざまな領域に介入してくることを不自由だと考えます。
国民は、基本的に連邦政府に対して不信感を持っています。連邦政府が介入しないほうが好ましいというのは左派右派を問わず、一定程度共通して見られる価値観です。
アメリカの建国の歴史を考えてみれば理解できるかもしれません。
アメリカの建国の歴史はイギリスの清教徒たちを乗せたメイフラワー号が、プリマス・ロックに流れ着いたところからはじまります。これはもちろん、流れ着いた人たちから見たときの建国の歴史で、大変恣意的なものですが、一定程度根づき、支持されています。そしてそこから西へ西へと開拓が進んで州ができていくわけですね。
「ユナイテッド・ステイツ」という国名からしてもわかるように、アメリカは州政府の権限がとても強い国です。
選挙権の年齢、飲酒可能な年齢、死刑の有無は「州」によって違う
選挙権の年齢も州によって違いますし、飲酒可能な年齢、死刑の有無なども異なります。州はわれわれにとっての身近な地方政府、つまり都道府県よりも国に近いと言ってもいいのかもしれません。
その後、アメリカは南北戦争などを経験して、国内の統一が図られていきますが、連邦政府はあとからできたものです。
したがってわれわれが思う以上に、合衆国政府が嘴を挟むことに対する警戒感や抵抗感が強いのです。そのことを不自由だと考える社会や価値観なんでしょうね。
合衆国政府が新たに何かを判断するということは、権限を州政府から合衆国政府に移すということです。見方によっては権限や自治の自由を「奪われた」ことになります。
武器や暴力を国家に集中させるのは内乱を防ぐという側面がありますが、抵抗する権利を奪うとも言えます。こうした対立は古典的なアメリカにおける政治的保守と政治的リベラルの対立軸にもなります。
アメリカにおける保守はおおむね州政府の権限拡大を主張し、リベラルは連邦政府の権限拡大を主張します。両者をかろうじてつなぎとめてきたのが、宗教と合衆国憲法だったというわけです。