「他人への査定的な眼差し」が内面化すると孤独になる

【内田】だから、試合だけじゃなくて、日常の稽古でも同じことを言われるわけです。師範が門人に細かい「ダメ出し」をするのを聴きながら稽古しているわけですから、いつの間にか初心者まで「見巧者」になってしまうんです。これは不思議なことで、査定的な物言いを聞きなれていると、「眼高手低」になる。自分はそれほどの技術がないのに、他人の技の欠点を評論することには達者になる。昨日今日始めたばかりの初心者が高段者の演武を見て「今、体軸が少しぶれましたね」なんていう「評論」をするようになる。で、それが結構当たっていたりする(笑)。だから、ついはまってしまうんです。

内田樹・岩田健太郎『リスクを生きる』(朝日新書)
内田樹・岩田健太郎『リスクを生きる』(朝日新書)

でも、「他人の技をあれこれあげつらう」ことがどれほどうまくなっても、自分の術技が上達するわけじゃない。これはそうなんです。「他人の技をいくら批判してもうまくならない。だから、他人の技を批判してはならない」ということを僕は合気道の多田先生から教えられてきたので、この落差にはびっくりしました。

シリアスなのは、「他人への査定的な眼差し」が内面化してしまうと、しだいに孤独になるんです。道場を越えて、修行者同士が人間的な交流を図るという機会もほとんどなかった。同じ時期に稽古を始めた人は「同期」で、道場が違っても仲良くなるものですけれども、そういうこともなかった。

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