「教えること」は自分自身の稽古のため

【内田】上下関係ができないのは、「教えること」そのものが稽古だからです。自分が上達するために人に教えている。だから、道場では、指導する側とされる側の関係が上下関係にならないんだと思います。自分が努力して獲得した貴重な知識や技術を人に教えているというふうに考えると、それだけの手間に対して「対価」を求めたくなりますよね。これだけ「価値のあること」を教授してやるんだから、それにふさわしい「お礼」をしろという気持ちになる。

でも、ほんとうはそうじゃないんです。教えるのは自分自身の稽古のためなんです。教えることで自分自身の技を磨く。だから、ほんとうは「教える機会を提供してくれてありがとう」と言うべきなんです。

【岩田】なるほど。

道場で合気道の稽古をする様子
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競争社会は人を孤独にする

【内田】競争と孤独というのは関係があると僕は思います。コロナ以前から現代日本社会では孤独な人が増え続けていました。地縁・血縁の共同体が解体して、それに代わって疑似家族として機能していた終身雇用・年功序列の会社も廃してしまった。

そうやって社会的なネットワークが失われた結果、社会内において「自分はいったい何ものであるか」を知るための手立てが、競争関係のなかでのランキングだけになった。自分が属する専門領域において、どれくらいのランクに格付けされるのか、ということが最優先の関心事になった。それがわからないと自分がほんとうは何ものであるかがわからないから。そうやって、いつの間にか、絶えず横にいる人たちとの相対的な優劣や強弱ばかりを意識するようになった。

そのせいで、人々は分断され、原子化し、砂粒化したんだと思います。つねに競争を意識して生きていれば、そりゃ孤独にもなりますよ。「自分は誰より上か、誰より下か」ということをつねに意識していると、当然ながら他人の「欠点」に優先的に関心が向くようになる。これは必ずそうなるんです。競争的環境に置かれたときに、人々が互いの潜在的な才能に注目し、その開花を支援するということは起きません。これはもう絶対に起きない。互いにそれぞれの欠点を探し出し、それを意地悪くあげつらうことが最優先のことになる。

【岩田】確かに、そうですね。