背徳感を楽しんだビーフシチューやハンバーグ

家に帰ってその話を親にすると、仰天された。そして、思い立ったら即行動派の母は、早速学校のカフェテリアに連絡して、牛肉を買うことはできるか、と問い合わせていた。

すると、なんと快諾してくれたらしい(そもそも牛肉を売ってることも否定しないんか……)。

電光石火の行動力の母が、次の日学校で買ってきた肉は、正真正銘の牛肉だった。デリーでは入手不可能なビーフがなぜあるのか、その真相はわからない。だが、もう日本に帰れるまで食べられないとあきらめていた牛肉が手に入ったのだ。それだけで最高の気分だったわたしたちは、その肉の入手経路など正直どうでもよかった。

それ以降、わたしの学校はデリーでの唯一の牛肉販売店として我が家で重宝されることになった。そして、その肉で、ビーフシチューやハンバークを作って食べ、これが上に住む大家さんに見つかったらやばいよなぁなんて言いながら、その背徳感を楽しんだりもした。

和食の腕前が日本人以上のメイド「ブミちゃん」

夜は、メイドさんが作ってくれた料理を家で食べる。

日本で「メイド」というと秋葉原あたりの光景を浮かべたり、超大金持ちの家を想像したりするが、インドではお手伝いさんを雇うことは広く普及していて、ひとつの文化でもあった。

インド人でなく、駐在している外国人家庭でもお手伝いさんを雇うのは一般的だった。ただ家事を手伝ってもらうというだけでなく、お手伝いさんは買い物などの生活のサポートや通訳者の役割も果たし、現地人との架け橋的存在となってくれるので、いないと困ることも多い。

わたしの家でも、女性のお手伝いさん、つまりメイドさんをひとり雇っていた。彼女は、インド北東部の、紅茶で有名なダージリンの出身で、民族性でいうとネパール系だった。いわゆる「インド人」というよりかは、東南アジア系のあっさりした顔つきで、百五十センチくらいの小柄な体型をしていた。その姿は日本人にも近いようなところがあり、わたしたちは親しみを込めて「ブミちゃん」と呼んでいた。

ブミちゃんの作ってくれる料理は、何から何まで本当に美味しい。わたしたちの前にもいくつかの日本人家庭に勤めていたらしく、その和食の腕前は日本人並み、いや日本人以上といっても過言ではない。鶏の唐揚げに始まり、筑前煮、生姜焼き、魚や鶏の南蛮漬け、ロールキャベツ……なんでも作ってくれる。メインディッシュのほかにも、サイドの金平、五目和え、ポテトサラダ、酢の物、さらにほうれん草の白和えなんていうマイナーなものまでお手のものだ。