本棚、教科書の積み上がった机に彼女は何を思うか

彼女のそんな背景を知ってからというもの、わたしは自分の言動にも敏感になってしまうことがあった。

ブミちゃんは、料理だけでなく家の掃除の手伝いもしてくれる。そんなとき、考えてしまう。

わたしの部屋の、本の詰まった棚や、教科書の積み上がった机を見て、ブミちゃんはどう思うのだろう。わたしが見せびらかすつもりはなくても、ブミちゃんにとっては羨望の対象になってしまうのだろうか。普通に学校に行けたおとななら、「学生の仕事は勉強することだ」と言えても、そんな普通が与えられなかった彼女は、学生生活などろくに送れなかった彼女は……。

テーブルの上に開いて置かれた付箋付きの本
写真=iStock.com/PrathanChorruangsak
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わたしの自意識過剰? ブミちゃんだって、自分より恵まれた人間を見ることに、慣れてしまっているだろうか? でも、勉強する道具も環境も十二分にあるわたしの部屋で、もしもブミちゃんの胸がチクっとしていたなら。それは、彼女が「金持ちの子どもだから」と割り切ってしまうのと同じくらい、悲しい。そして、きっと彼女も、わたしも、わかっている。悲しみの的はお互いではないこと。やるせなさの矢を、向けることはできないこと。

ブミちゃんの英語がほかのインド人よりうまいワケ

そんな彼女だが、ほかのインド人と比べて、また特に彼女のような階級のなかでは、格段に英語がうまかった。仮住まいのサービスアパートメントではじめに出会ったハウスキーパーさんは、ほぼ「Thank you」か「OK」しか言わず、なにか伝えてもなかなか理解してもらえなかったのに対して、ブミちゃんとは難なく英語で会話できた。おどろくことに、それもまた北東部出身ゆえのことだという。その地域は、チベット、ブータン、ミャンマー、バングラデシュなど多くの国や地域とインドとの境にもあたるため、さまざまな文化の合流点でもあるのだ。

また、山間部などには「トライブ(tribe)」とよばれる土着の民族も多く存在している。日本でもアイヌのひとびとは特有の文化や言語を持っているように、インドの民族もまたそれぞれ言語がちがうのだ。

そんな、多種多様な文化や言語の背景をもつひとびとが集まった地域でコミュニケーションをとるため、必然的に英語が頻繁に使われるようになったんだとか。日本でももっと多様な言語があれば、いまごろ共通言語として英語が広まっていたのかもしれない。