誰かが雇わないと生きていけない人たち

日本で、お手伝いさん、オブラートに包まず言えば「召使い」を雇っているというのは、贅沢だと思われがちだ。もちろん、ひとを雇って身の回りの世話をしてもらえるというのは、特権であって、みんながみんなその立場にいるわけではない。

熊谷はるか『JK、インドで常識ぶっ壊される』(河出書房新社)
熊谷はるか『JK、インドで常識ぶっ壊される』(河出書房新社)

わたし自身、インドに来てから自分の「贅沢さ」に戸惑うことがあった。お手伝いさんになんでもやってもらったり、ドライバーさんが車を運転してくれたり、いままで日本で生活していては想像できなかったような暮らしになったことで、ひとの上に立つというような気もしてしまって、むずむずとした違和感を覚えてしまうのだ。お金を払っているんだから申し訳なく思う必要はないと言われようと、まだ子どもの自分が、大のおとなに優遇されると、「なんで?」と変に感じるのだ。

そんな風に思っていたとき、母に言われた。

「でも、誰かが雇わないと、ブミちゃんも生きていけないからね」

もちろん、あたりまえのことだ。あたりまえのことだけど、ここではその重みがちがうような気がした。大学はおろか、中・高等教育でさえ十分に受けられていなければ、幼いころからやってきた家事を仕事にするのは、ブミちゃんにとっての命綱のようなものなのかもしれない。

真心がこもった働きに真心をこめて感謝する

中流階級以上は使用人を雇うという文化は、特にインドだからこそ、カーストなどと結びつけられて不当だと思ってしまいやすい。でも、この国の識字率を考えたら、使用人という職業がなくなってしまうことも、多くのひとにとっての打撃、文字通り命取りとなりかねない。

だから、罪悪感はもっちゃだめだと自分に言い聞かせる。我が家で働いてもらっているから、ブミちゃんは生きていける。それだけじゃない。ブミちゃんが生活の手伝いをしてくれるから、わたしだってインドで生きていけるのだ。申し訳ないじゃなくて、ありがとう、だ。

日本にいたってインドにいたって、美味しいものを食べられるというのはこれ以上ない幸せで、だから真心をこめて作ってくれることに対して、真心をこめて感謝をしていただく。それが、ひとを使うという立場に恵まれ特権を持った者として、最低限できることだ。

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