サンデー毎日(12月26日号)で保阪正康は、秋篠宮がいった反論権は最も重要であり、これを論じること自体が歴史上初めてとなるとして、
「それが特に議論もなく形を作っていけば、将来由々しき問題になりかねない、との思いもしてくるのだ。なぜなら皇室の問題は報道レベルで基準を作るというのであればわからないでもないのだが、皇室から積極的に出されるということは、言論活動への干渉と受けとられかねない危険性があるだけでなく、当事者が言論活動に口を挟む前例になる恐れもある。
無論、秋篠宮は、宮内庁と相談してと言い、具体的にはご自身でその基準作りを主導するとの意味ではないようだが、しかしそういう事態になれば、官僚主導の基準がこの社会で、予想外の方向に向かいかねないとの懸念はある」
ここにも兄弟の違いが表れているのではないか
秋篠宮は、言論統制にもつながりかねない重大な問題を、なぜこのような場で持ち出したのだろう。
深読みすれば、この機会をとらえ、うるさい週刊誌を規制しようと企む官僚たちが秋篠宮をそそのかし、いわせたのではないのかと勘繰りたくもなる。
秋篠宮は、意に沿わない相手と結婚してしまった娘に対する苛立ちから、うっかり口を滑らせてしまったのかもしれないが、ご自身の影響の大きさを考え、発言に慎重であるべきではなかったか。
ここにも、国民に寄り添い、常に感謝を忘れない天皇と、一時の感情に突き動かされて不用意発言をしてしまう秋篠宮との違いが表れているように思うのだが。
小室眞子さんの結婚問題は、2人がニューヨークへ移り住んでも、まだまだその余波は広がり続けている。(文中敬称略)