その後、長女眞子さんの結婚話が起こり、さらに注目が高まった。しかし、国民そろって祝う慶事であるはずが、婚約者と母親の金銭トラブル報道で“暗転”してしまう。

天皇即位、自身が皇嗣になるための儀式と、秋篠宮は心も身体も休まる暇がなかったであろう。

余裕のなさが、長女眞子さんの結婚問題での優柔不断とも思える対応になったのではないか。皇嗣として父親として、どう助言し、どう決断すればいいのか迷っているうちに時間だけが過ぎ去っていった。

そんな父親の姿をそばで見ていて、ここから一刻も早く離れたい、そう眞子さんは思ったのかもしれない。

“迷い”や“弱さ”は人間味あふれるものだったが…

冒頭触れたように、婚約延期以来、報道陣の前でほとんど笑顔を見せなかった眞子さんが、日本を旅立つ時に見せた笑顔は、皇室や秋篠宮家から決別できた安堵の笑顔ではなかったか。

秋篠宮が結婚騒動の間に垣間見せた“迷い”や“弱さ”は、誰にもあるほほえましい人間味あふれるものだと思う。だが、一部の皇室贔屓の人間たちは、もっと皇嗣らしく毅然としていてもらいたかったと思うに違いない。

最後に、秋篠宮の誕生日会見で首を傾げる発言があったことに触れておきたい。

「眞子さんの体調に影響を与えたとされる週刊誌報道やインターネット上の書き込みについては『誹謗中傷、つまり深く人を傷つけるようなことばというのは、雑誌であれネットであれ許容できるものではありません。一定の基準を設けて、それを超えたときには反論を出すとか、そういう基準作りをしていく必要があると思います』と述べられました。

そして『今後もこういうことはたぶん続くでしょう。その辺も見据えて、宮内庁とも相談しながら、考えていくことは必要だと思っております』と話されました」(NHK政治マガジン11月30日より)

新聞やテレビは大きく取り上げていないが、これは皇室報道の根幹に触れる重大な発言である。

「宮内庁主導」になれば戦前へ後戻りしかねない

たしかに眞子さんの結婚問題について、宮内庁関係者や秋篠宮家に近い筋などと匿名にしながら、誹謗中傷とも思える報道があったことは間違いない。

だからといって「皇室側が一定の基準を設ける」というのはあってはならないと、私は考える。

宮内庁主導になれば、自分たちの都合のいいように基準を設けることは想像に難くない。

報道を規制していくという発想は、一つ間違えれば戦前へ後戻りしかねない危険があると、私は考える。