母親の苦労を間近で見てきた。自分もいじめや不登校を乗り越えてきたから、父親の天皇のように、家族を第一に考える男性を選ぶのであろう。

しかし、人生は何が起こるか分からない。もし女性天皇が認められることにでもなれば、愛子さんの結婚相手選びは大変なことになることは間違いない。

皇居
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「愛子天皇」待望論はますます大きくなっていく

雅子皇后の適応障害は波があるようだ。週刊新潮(12月23日号)によると、「記者会に配られるご予定表には、天皇陛下のスケジュールしか記載されていません」(さる皇室ジャーナリスト)という。

だが12月9日、58歳になった雅子皇后が発表した文書の中で、今年印象に残ったこととして、「2度目となった養蚕も、初めて、全ての作業に携わることができ」と書いている。

養蚕は明治以降、代々皇后が継承してきているそうで、とりわけ美智子上皇后が熱心で、一度は蚕の飼育中止が検討されたが、美智子さんのたっての希望で残されたという。

皇太子妃のときは蚕に触ったことはなかったようだが、「今回は全工程を担われた。美智子さまもたいへん頼もしく思われているのではないでしょうか」(同)。

世論調査では「女性天皇」への賛成が9割近くになるという。愛子天皇待望論はますます大きくなっていくに違いない。

対照的に眞子さんの結婚問題で失墜する秋篠宮家。中でも紀子さんが、長女の駆け落ち婚のショックから立ち直れないという。

「眞子さんご結婚後、お知り合いらが祝意を表しても、紀子さまは“ありがとうございます”とはお返しにならないんです。無言で、時には、笑顔も見せず、目を吊り上げ、口を真一文字にして押し黙られることもあるくらいで……」(さる秋篠宮家の関係者=週刊新潮)

天皇家と秋篠宮家は、どこで変わったのか

紀子さんは、眞子さんや佳子さんを連れて、天皇皇后(当時)に頻繁に会いに行き、美智子皇后の振る舞いを一生懸命真似ていたといわれる。

そして「皇統を救った」とまで評される悠仁さんを出産したのである。

秋篠宮も、皇太子(当時)が「人格否定発言」をした時、「事前に天皇陛下に相談すべきだった」と記者会見で苦言を呈し、毅然とした弟君と評価された。

長男とは違って、自由に生き、身内の批判も堂々とする秋篠宮に多くの国民が賛同の拍手を送った。

苦悩する皇太子一家、自由でのびのびと生きている秋篠宮一家。その流れが変化してきたのは、天皇が生前退位をした頃からではなかったか。

皇嗣家として、自身も長男悠仁さんも皇位継承者になり、国民もメディアの注目度も各段に上がった。

秋篠宮に大きな戸惑いがあったことは間違いないであろう。それが、天皇が退位した時、私はかなりの年齢になっているから「それからはできないです」発言になったのではないか。