“鬼”を倒すには家族単位の自助しかないというメタファー
【佐藤】新型コロナとの関連性という点で言うと、私は二つの要因を感じました。一つは、鬼が登場するという文脈です。「鬼滅」と同じ頃に『約束のネバーランド』という作品がヒットしましたが、あれにも人間を食べることで知能などを維持する鬼たちが出てきました。
もともと鬼というのは、「目に見えないけれども、災いをもたらすもの」というのが起源です。そういう人知の及ばない存在との相克の物語が、コロナと対峙する時代状況と重なった。そのことが、「鬼滅」のヒットと無関係だとは思えないのです。
【斎藤】なるほど。確かに新型コロナウイルスは、鬼にほかならない。
【佐藤】もう一点、そういう状況下で、結局守ってくれるのは家族だけ、きょうだいだけ、というメッセージも、あの作品からは強くうかがえます。炭治郎と妹・禰豆子の戦いの物語を通して、鬼をやっつけるには、家族単位の自助努力しかないのだ、と訴えているわけです(笑)。
【斎藤】作家自身が、あの作品には家族主義が通底すると、はっきり謳っています。そこが時代にフィットしたということは、確かに言えるのではないでしょうか。
「すごいブームが起こった」で終わらせてはいけない
【佐藤】大げさではなく、こうした漫画とかアニメとかは、時代の社会構造をしっかり反映しているわけです。最近であれば、タワマンのママ友同士の葛藤を描いた『おちたらおわり』とか、三十歳を過ぎた女性二人が女子会を繰り返す『東京タラレバ娘』のシーズン2とか。あえて余計なことを言えば、こういうものを読んだほうが、下手な政治評論よりもよほど社会のことが分かるのではないかという気がします。
【斎藤】その手の漫画がよりビビッドに社会を反映しているのは、間違いないです。そういうリアリティとか、そこから生まれる共感とかがなければ、そもそも読んでもらえませんから。
【佐藤】ただ、それをどう読むのか、どんな教訓を引き出せるのかは、読み手の「責任」でもあります。「鬼滅」についても、単に「コロナ禍の中で、すごいブームが起こった」にとどまらない分析が行われるべきでしょう。
【斎藤】あれだけの現象が起こったことも含めて、さらなる検証が実行されるべきだし、それだけの価値がある作品だと思います。