ジャズの批評がきっかけで音楽の世界へ
世の中には美貌、名誉、仕事の能力、運などすべてを持っている人はそうそういない。しかし、音楽評論家で作詞家の湯川れい子さん(89)は、その“すべて”を持っている人と言ってもいいかもしれない。そして、圧倒的な男性社会の音楽業界の中で、華麗に才能を開花させ、欧米のポップミュージックを日本に広めた第一人者でもある。
父は海軍大佐、4人きょうだいの末っ子として裕福な家庭に生まれた。両親ときょうだいからの愛情を一身に受け「甘やかされて育ったせいか、小さい頃から自己肯定感が高い子どもでした。家の白い壁にいたずら描きをしても怒られるどころか、上手だねって褒められましたから」と笑う。
生来の美しさを生かして10代で女優になったが、そのうち友人の影響でモダンジャズにハマった。ジャズ専門誌『スイングジャーナル』に読者として投稿したのが世に出るきっかけに。ジャズの本質を鋭く追求したところ、「こんなに激しい批評を本当に女の子が書いたのか?」と評判になる。編集部から「本気で原稿を書いてみませんか?」と請われ、1961年から有名なジャズのアーティストにインタビューを行い、署名原稿を書くようになる。取材は英語だが、本格的に語学を勉強したわけでなく、洋画を見まくって覚えた「耳英語」を駆使したそう。都会が舞台の少し早口の英語で会話されるアメリカ映画を高校時代に200本は見た。
「当時の映画館は席の入れ替えがなかったので、朝から晩までずっと同じ映画を観ていられました。1、2本目は字幕を見て、3本目はセリフだけに集中する。そんな調子ですから、いまだに私の英語は“インチキ”です(笑)」
世紀の大スター「キング・オブ・ロックンロール」こと、エルビス・プレスリーに夢中になり、ジャズ以外のジャンルの原稿も書くようになった。ジャズはアメリカ南部で発祥し、プレスリーもまた南部ミシシッピ州の生まれだ。「ラジオから流れてきたエルビスの歌を聴いてものすごい衝撃を受けたのです。南部のイメージが私の中でグーンと広がり、ジャズと同じルーツを持つ歌手だと思ったのです」と湯川さんは語る。


