和と洋の踊り、演劇を経験してフラメンコに
日本フラメンコ界の創始者であり、94歳になってもなお、レッスン場に立ち、指導者としての腕を振るう小松原庸子さん。生まれは東京下町、父が三味線の常磐津の師匠という家に育つ。常磐津が子守唄であり、芸事に生きる人々の発する空気を当たり前のように呼吸して過ごした。
幼い頃には日本舞踊を学び、15歳からはバレエ団に入門して、和と洋の踊りをその身に叩き込んだ。20代は俳優座に入所し、演劇の世界に没入、舞台に立って演じるだけでなく、舞台芸術の作り手の一人としても研鑽を積んだ。
その小松原さんが一生の仕事だと確信したフラメンコに出会ったのは、29歳の時だった。来日したピラール・ロペスさんが率いる公演を見て、いっぺんに恋に落ちた。画家の夫がヨーロッパから買ってきた一枚のフラメンコダンサーのレコードを、擦り切れるまで聴いた。小松原さんがスペインに旅立つのは、必然だった。これほどまでに沸き立つ血を、抑えられるわけがない。
まだ海外旅行が珍しかった1962年、小松原さんは夫と兄に見送られ、単身で旅立ち、生活拠点をスペインに移す。フラメンコの魂を、溢れるほど浴びるため。
小松原さんは、スペインの大地から自らの“フラメンコ人生”をスタートさせた。
シャキシャキと音がするのは美味しい店の証拠
「最初はマドリードに滞在して、3食作ってくれる下宿屋さんに住んで、スペイン語の学校へ行きました。スペイン語なんか、何も知らなくて行っているわけだから」
スペイン語の事前学習もなく、いきなり住んでしまうほど、フラメンコへの思いが心細さや不安を凌駕していたのだ。もちろん、もともと怖いもの知らずの大胆不敵な女性でもあった。夜、好奇心に任せて、一人で初めての店に飛び込むことも頻繁にあった。
「マドリードの中心街で遅くまでやっているバルがあって、お店を覗いてみると、シャキシャキっていう音がうるさいんですよ。見ると、ムール貝の殻の音だったんです。スペイン人って、ムール貝が好きなんですが、食べたムール貝の殻を全部、床に捨てるんですよ。掃除なんかしないから、殻がいっぱい落ちてあるところは美味しい証拠。シャキシャキって、なんとも言えない音で、その印象が忘れられないですね。思わず、一人で食べに入りました。ムール貝、美味しいですよー。スペインのお料理は、なんでも本当に美味しかった。もちろん、スペイン語もずいぶんと勉強しました」

