暴力によるトラウマは、人を鬼に変えてしまう

【佐藤】それにしても、「加害者に転じた被害者」というのは、「虐待の世代間連鎖」のように、現実の世の中に通じるテーマですね。

【斎藤】そうなのです。虐待やDVの被害者の中にも、支援者が差し伸べた手を肘から食いちぎりに来るような人が、ごくたまにですがいます。暴力によるトラウマは、まさに人を鬼に変えてしまうことがある。

ですから、他者のトラウマに関わろうという場合には、それなりの覚悟が必要なのです。「何度裏切られても許す」というレベルではなく、「もし一線を越えたならば、被害者であっても毅然きぜんとして裁く」という覚悟です。罪は、それを許されてしまうことが地獄につながることがあります。「鬼滅」は、許さないことが、時として本当の救済になる可能性というものを、極めて説得的に描いているわけです。

【佐藤】深い洞察だと思います。救済の現場にいる斎藤さんの言葉だけに、まさに説得力がある。

男性のカウンセリングをする医師
写真=iStock.com/Pornpak Khunatorn
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【斎藤】付け加えておくと、お話ししたように炭治郎という主人公も鬼に家族を惨殺されるわけですが、彼はひとり「空っぽ」の人間なのです。およそ想像力というものが欠如していて、他人と共感する力も持ち合わせていません。

【佐藤】ただひたすらに、正義を貫くキャラクターとして描かれます。

【斎藤】その正義も鬼にさえ見せる優しさも、理性や想像力の産物ではないのです。考えてみてほしいのですが、彼がもし鬼の境遇を共感的に理解するような人間だったなら、たび重なる「鬼退治」で、とっくに共感性疲労をきたしていたはずです。

【佐藤】他人のトラウマに寄り添った結果、自分も心に変調をきたしてしまう。

トラウマ的な責任と倫理を問い続ける物語

【斎藤】「鬼滅」が描くような苛烈なトラウマにさらされ続けたら、心が折れて戦闘どころではなくなります。

では、何が彼の正義や優しさの根源にあるのかと言えば、それは炭治郎が生得的に持つ「嗅覚」だとしか言いようがありません。心を疲弊させることなく、粛々と鬼を裁くことができたのは、この嗅覚をよすがにしたからと解釈すれば、納得がいくのです。鬼の悲しさに共感するのではなく、嗅覚でそれを感じ取ってしまう。

【佐藤】言葉は悪いですが、ほとんど考えていない。

【斎藤】そうなんですよ。戦いのさなか、しきりに「考えろ!」と自分を鼓舞しつつも、実は「空っぽ」。見方を変えれば、考えなしに勘所が掴めてしまうのが、彼の強さです。ひとことで言えば、理性のコントロールの外にある「優しさという狂気」を生まれながらに宿している、というのが私の「炭治郎論」です。そういう部分に、意識する・しないにかかわらず、人々がけっこう反応したのかな、という印象を持つのです。

【佐藤】やはり、普通の“バトルもの”の主人公とは、だいぶ違うようです。

【斎藤】述べてきたのは、あくまでも私の解釈ですが、炭治郎の存在をそのように捉えてみると、あれは「笑って泣ける王道バトル漫画」にとどまらず、「トラウマ的な責任と倫理」の問題を問い続ける、まさに異形の物語のようにも思えてきます。パンデミックでひきこもりを余儀なくされるという異常な社会環境が、そんな物語への共感を、作り手の想像もはるかに超えて増幅させていった……。

つい、語り過ぎました(笑)。佐藤さんは、あの作品にどんな感想をお持ちなのですか?