日本で初めて女子プロサッカーリーグが誕生する。そのWEリーグ初代チェアを務める岡島喜久子さんは、サッカーを続けながら外資系金融で活躍してきた人物。当時男性ばかりだった職種にも挑戦した背景には、男の子に交じってサッカーをプレーした経験と負けず嫌いの性格があった——。

日本女子プロサッカーリーグが開幕へ

9月12日、日本のスポーツ界に新しい潮流を生み出すべく、日本女子プロサッカーリーグが開幕を迎える。その名はWomen Empowerment League(WEリーグ)。文字通り、“女子プロサッカー選手”という職業が確立され、リーグを核に関わるすべての人が主人公として活躍する社会を目指すという想いが込められている。

WEリーグ初代チェア岡島喜久子さん。
WEリーグ初代チェア岡島喜久子さん。(撮影=早草紀子)

このWEリーグの初代チェアを務めるのが岡島喜久子氏だ。彼女はアメリカ在住でありながらこのポジションに就いた。異例の抜擢ではあるが、まだ日本女子代表チームがなかった頃に単独チームとして日本を代表して国際大会に出場した経験から、帰国後に日本女子代表の必要性を訴えて当時の日本女子サッカー連盟の設立に奔走した行動力を持つ。またコロナ禍でオンラインでの運営がニューノーマルとなったからこそ、新たな女性リーダーとして彼女に白羽の矢が立ったことは十分にうなずける。

岡島氏の売りはそれだけではない。30年以上日本を離れて世界の金融業界で築いてきたそのキャリアだ。サッカー面での強化と女性活躍という難しい課題を抱えたWEリーグではあるが、彼女の数々の言葉が示すバイタリティはそれを超えていくことを想像させるものだった。

サッカーを続けるために選んだ職業

——大学時に留学をされていますよね? もともと海外の仕事に興味があったのですか?

【岡島喜久子(以下、敬称略)】そういう訳ではないんです。高校生のときに台湾で行われたアジアの大会に日本を代表して単独チームで出場したんです。そのときに香港とシンガポールの人とすごく仲良くなって、2週間であっという間に英語ができるようになりました(笑)。その後早稲田大学の商学部に進学し、そこでアメリカへ交換留学することになりました。ケガをしていたこともあり、スポーツと医学の接点を見つけたかったので、アメリカではスポーツ医学を中心に勉強しました。

——帰国してサッカーを続けていくために、週末が休業であるケミカルバンク(現在のJPモルガン・チェース銀行)を選んだんですよね?

【岡島】最初はバックオフィスの仕事をしていたんですけど、銀行で一番大きな仕事といえばお金を貸す仕事です。相手は日本の企業で、商社や生命保険会社でした。男女雇用機会均等法(1985年制定)ができてすぐの頃ですから、そういう場に女性が出ていくことはほとんどありませんでした。社内のニューヨークの審査研修もずっと男性が行っていたんですが、私が「ぜひその研修に行きたい!」と手を挙げました。もうすでに決まっていた男性がいたのですが、英語がそこまで話せないことをアメリカ人の上司は不安に思ってたんです。そこでせっかく行きたいという女性がいるんだったらと、変更してくれました(笑)。