優秀な営業ウーマンとしてキャリアを築き、その後も異動した先々で結果を出し続けてきた長嶋由紀子さん。だが、辞表を書いたり、予想外の異動に落ち込んだりしたことも1度や2度ではないという。意気消沈してもまた前を向ける、そんな自分であり続けるための極意とは──。
リクルートホールディングス常勤監査役、長嶋 由紀子さん
写真=リクルートホールディングス提供
リクルートホールディングス常勤監査役、長嶋 由紀子さん

会社も仕事も嫌いだった

長嶋由紀子さんのキャリアをたどると、そこには輝かしい功績がいくつも並ぶ。最初に配属された営業部門では、早々に優秀な成績をおさめて課長まで昇進し、その後に異動した人事部門では企業内ビジネススクールを創設。社内の人材育成の枠組みをつくり、ブライダル部門に異動後は、あの『ゼクシィ』を日本最大級のブライダル情報サービスに育て上げた。

40代後半からは、執行役員、人材派遣のリクルートスタッフィング社長、そして現職である常勤監査役へと着実にステップアップ。誰もが憧れるような堂々たるキャリアだが、本人は「『落ち込んでは立ち上がる』を繰り返してきただけ」と笑う。実は、辞表を書いたことも1度や2度ではないのだとか。

「入社したばかりの頃は会社も仕事も嫌いで、辞めることばかり考えていました。その後も異動のたびに意欲をなくしてしまい、ひたすらサボっていた時期もあります。でもどの時も、『この仕事の面白みはどこにあるのか』の『どこ』を解明しようとしているうちに、いつの間にか面白い部分に気づいちゃって(笑)。そこを知らないまま逃げ出すと後悔する、そんな思いがあったんだと思います」

最初に辞表を書いたのは、入社してわずか1カ月後だった。出版社志望だった長嶋さん、雑誌や書籍をつくれると聞いて入社したものの、配属されたのは就職情報誌の営業部門。自分の夢とはかけ離れた仕事にがっかりし、加えて当時まだベンチャーの空気を色濃く残していたリクルートの「やんちゃな社風も好きになれなかった」と振り返る。