「トンデモ」を信じる人たち

当時の僕はX社のこともマルチ商法がどういうものかもよく知っていたわけではない。ただ良いイメージがなかったのは確かだった。

妻はX社のことを警戒している様子はまったくなく、むしろ「平泉さんと出会えてよかった!」という感じだった。

「白砂糖は麻薬だから子どもに食べさせてはいけない」「薬はリスクだから飲んではいけない!」そういう話を平泉さんがしてきて、もともとそういう話に強い興味があった妻は意気投合したらしい。

僕は不安になる一方で、「民生委員がマルチ商法など勧めてくるわけがない」という気持ちがあった。親身になってくれる民生委員が、たまたまX社の製品を使っている。それだけのことだと考えていた。

昨今では、「トンデモ」と呼ばれる情報が書籍やウェブを中心に溢れ、検索プラットフォームやブログサービスを提供する企業が対応策を取るなどの社会問題になりつつある。

こうした情報は医療・食・健康に関するものが多く、いずれも科学的な根拠がない。たとえば世界保健機関(WHO)は、2019年に注目される「世界の健康に対する10の脅威」のひとつとして、「ワクチン忌避」を挙げている。

身近で信頼のできる人や、一見、権威のありそうな専門家から「○○が危ない!」というメッセージが発せられると、根拠の有無に関係なく不安が喚起され、ふつうであれば信じないような情報を信じ込んでしまうことがあるのだ。残念ながら、これは家族や子どもの健康に気を配る親(特に母親)であればなおさらのことで、僕の妻もそのような母親のひとりだった。

もともと医療や食、健康に関心が高く、真偽が確かではない情報を信じ込みやすかった妻の目には、平泉さんが「質の高い情報」をたくさん知っている素敵な女性に映ったことだろう。

根拠のない「安全」に人は動く

マルチ商法にハマることと、「トンデモ」を信じることは別ではないか、と思うかもしれない。しかし、このふたつは密接につながっているというのが僕の実感だ。

マルチ商法が取り扱う製品の多くはサプリメント、プロテイン、調味料、空気清浄機、浄水器、洗剤といった健康食品や日用品である。そして、一般的に「トンデモ」と指摘される情報の多くも、医療や健康や食に関するものである。なかには規定に反した勧誘を行う会員がいるが、その場合、製品の優位性を説明するときに「トンデモ」が話に混じることがある。

「サプリを飲まなければ身体を壊す」「水道水をそのまま飲むのは自殺行為に等しい」。マルチ商法の製品を勧められるときにかけられるこうした言葉には、科学的な根拠の有無などない。普段、僕たちが当たり前に享受しているものが「本当に安全なのか」と疑問を突き付けられ、心が揺れたタイミングで「都合のいい解決策」が提示されるのだ。

いわば「トンデモ」は心を揺らすための道具として使われている。書籍やネットでよく知られた情報や、マルチ商法の会員のあいだでだけ使われる情報など、利用される「トンデモ」の種類は異なるが、こうした科学的に根拠のない説明がなされることがあるのが、悪質なマルチ商法勧誘の特徴である。