新築の家がX社製品で溢れかえる

同じように、僕がSNSのコミュニティを中心に調査したメモによれば、放射能、農薬、添加物、牛乳、トランス脂肪酸、ワクチン接種、薬を飲ませることなどが健康に悪いという情報が、日常的に会員同士で共有されていた。

妻も、そういった書籍やネットで得た「トンデモ」な知識を意気揚々と友人に話していたが「それ、おかしいんじゃない?」と眉を顰められ気を悪くしていることも多かった。

そこに現れたのが平泉さんだった。平泉さんは、妻のトンデモな話を否定することなく、「そうだね」「いっぱい勉強してえらいね」と寄り添って聞いてくれた唯一の人だったに違いない。平泉さんはこうして、妻にとって「自分は間違っていない」と認めてくれる存在になったのだ。そんな妻が、平泉さんを信頼し、平泉さんが勧めるマルチ商法に興味関心を強めていくのは自然なことだったのだろう。

このとき僕はまだ、妻がママ友や幼稚園のお母さんたちにも勧誘をしていたことを知らなかった。

妻がマルチ商法の製品を愛用していることに不安を覚えながらも、新築の家に引っ越した。新しい家に引っ越せば妻も良い方向に変わってくれるのではないか、X社もやめてくれるのではないかという期待があった。だが現実は逆だった。家のなかはX社製品で溢れかえった。僕と妻と娘と3人で布団を並べて寝ていたが、寝室に置かれた空気清浄機の音が我慢できず、僕は寝室を別にした。

困難な関係のカップルのシルエット
写真=iStock.com/kemalbas
※写真はイメージです

そうやって僕の家庭はX社一色になっていった。

妻は古くからの友人やママ友にX社の勧誘をしていた

やがて、一日中妻の携帯の通知音が鳴るようになった。食事中も娘と3人でいるときも携帯の通知が鳴り、そのたびに返信している妻にイライラが募った。

その頃、妻は平泉さん以上に徹子さんという女性の話をよくするようになっていた。徹子さんも平泉さんと同じように、地域の民生委員をしている。とても素敵で元気で、60代には見えない尊敬できる女性だと。妻の話からは、平泉さんも徹子さんを尊敬していて、X社仲間のなかでも徹子さんのほうが平泉さんより上の指導的立場にあり、X社仲間のなかで教祖のような存在であることが窺えた。しだいに僕は、妻の変化には徹子さんが大きく関わっているのではないかと考えるようになった。

ある日、娘と散歩をしていたときに娘が「徹子さんは白い門の家に住んでいる」と話しはじめた。娘から妻が徹子さんや平泉さんの家によく行っていること。そこでX社の話をいつもしていたり、自己啓発セミナーを受けていることを聞いた。それまでは、せいぜい月に一度ぐらい、平泉さんの家の料理教室に行っているとしか思っていなかった。それが週に何度も通っていると。そして古くからの友人やママ友にX社の勧誘をしていることを知った。

製品を買っているだけで、誰かに勧めることはしていない。てっきりそう思い込んでいたが、僕がそうであってほしいと信じたかっただけなのかもしれない。