高齢者やハンデを持った人向けに、施設や自宅への訪問理美容サービスを提供する福祉美容師。現在、関東圏で約200の個人や事業所が展開中だが、藤田巖さんは、そのパイオニア的存在。
藤田さんは富士通に入社後、ひたすら営業畑を歩んだ。販路開拓のためブラジルにも赴任、目標達成に情熱を燃やす典型的な営業マンだった。ところが、「45歳教育」という同社独自の研修を受けたことで転機が訪れる。
「3カ月間、現場を離れて研修を受けました。自分がいないと現場が混乱するのではと心配でしたが、実際は何の問題も起こらなかった。正直、ショックでした」
会社ベッタリの人生ではつまらない。藤田さんは定年後の人生を模索し始める。
「お年寄りが髪をカットしてもらったら急に元気になったという新聞記事を読み、福祉と美容を組み合わせることを思いつきました。当時、私にも84歳になる病床の母親がいて、美容院に行きたいと言っていたのを思い出したんです」
美容師の資格を取得するには、2年間の学科受講と1年間のインターン経験が必要だ。そこで50歳のとき、会社に内緒で美容学校の通信科に入学。必須だった10日間のスクーリングには、勤続30年のリフレッシュ休暇を充てて対処した。最大の難関だった1年間のインターンも、受け入れ先となるサロンに懇願し、2年間、土日出勤、無遅刻無欠勤で修了させてもらえることになった。
平日は朝4時に起きて個人練習。昼間は会社で働き、夜は試験のための勉強会に参加、週末はインターンというハードな生活が、約2年続いた。その努力が実り、実技試験は3回目で合格。結局、定年目前の56歳に免許を取得した。
定年後は横浜のサロンに1年半勤めた後、60歳で美容院を開店。サロンに出入りする業者から情報を仕入れ、バリアフリーの物件を居抜きで借りた。開業資金は約500万円。シャンプー台はリサイクル品を選ぶなど、出費を極力抑えた。
収支は、開業当初こそ赤字続きだったものの、1年後には黒字転換。だが、自分に試練を課すため3年目と6年目に新店を開設。現在は年商5000万円、スタッフ18人を抱えるまでに成長した。
「売り上げは人件費で消えてしまうので、私自身の収入は退職前の30分の1程度。でも、この仕事にはお金には代え難い喜びが。高齢化社会を迎え、さらに福祉美容の需要は増えるはず。もっと身近なサービスにしていきたいです」