どんな選択をするにせよ、第2の人生を考えるときに避けて通れないのが退職後の生活・家計設計。元新聞記者の柳沼正秀さんは、自分で老後資金のシミュレーションを行ううちにその重要さに目覚め、ファイナンシャルプランナー(FP)になった変わり種だ。
柳沼さんは毎日新聞社で記者として活躍。関連の出版社に移籍後は、自ら企画を出して週刊将棋新聞やパソコン雑誌などを創刊。好きなことを仕事にしていた点では恵まれたサラリーマンだった。
だが40代になると、現場よりマネジメントの仕事が増え、次第に組織に息苦しさを感じ始める。独立する意向を妻に伝えると、「仕事を変えても、老後は大丈夫ですよね」と釘を刺された。その言葉で思い出したのが、以前に取材したことのあるFPの資格。「最初は自分たち夫婦のために退職後のキャッシュフローをシミュレーションしてみました。これがFPの勉強を始めたきっかけ」という。
当時は国家資格のFP技能士ができる以前で、柳沼さんは民間の国内資格AFPや国際資格CFPの取得を目標に勉強を開始。試験対策テキストもない時代だったので、パソコン通信の会議室で情報を入手、SG(スタディグループ)と呼ばれる勉強会に参加して知識を蓄えた。
当初は後学のための資格取得だったが、SG仲間からライフプランの分野で活躍しているFPは少ないと聞き、「競争相手が少ないならビジネスチャンスがある」と、はじめて退職後の仕事として意識。勉強にもますます力が入った。その甲斐あって、46歳でAFP、48歳でCFPを取得。だが、すぐに独立しなかったのは、収入の不安があったからだ。
「当時の年収は千数百万円ほど。大きなリスクを背負って独立するわけですから、1000万円を稼ぐイメージができるまで独立するつもりはありませんでした」
収入の目途を立てるため、在職中から準備を始めた。FP仲間の紹介で、「暮らしの相談センター」相談員や試験対策テキストの編集業務の仕事が決まり、FP収入で月50万円が見えた50歳のとき、ついに退職を決断。独立後は中高年向け生活設計セミナーなど企業研修の講師も務め、現在は数十社と提携。収入は退職前を超える水準になった。
「生きがいを感じるのは相談業務。新聞や雑誌のころは読者と直接接触することはなかったが、いまはお客様からダイレクトに『ありがとう』と感謝される。それが何よりも励みになります」