ところが、ASDの人はこうしたニュアンスを察知できません。そのため「どうしてみんな黙ってるの?」、「はっきり説明をしてください」などと、ひとりで問い詰めることがあります。
表情や言葉のトーンから相手の気持ちを読み取るノンバーバル(非言語的)なコミュニケーションを苦手としています。そのため、人の言葉を額面通りに受け止めてしまいます。同じ「イエス」でも本気のイエスか、ノーを含むイエスか、いろいろなパターンがあるのが日本人の会話ですが、ASDの人にとっては、「イエス」と言われたらイエスなのです。そのため、お世辞や社交辞令も真に受けてしまいます。
「同調圧力」を読み取れず生きづらい
ちなみに、ADHDの人も同じように「空気を読めない」人に見られることが少なくありませんが、ASDとは、その原因が異なっています。
ADHDでは「相手の都合など考えず、思いついたことを言わずにいられない」傾向があります。ASDの人が「空気を読めない」のは他人への無関心によるものですが、ADHDの人が「空気を読めない」のは、その衝動性から「空気を読もうとしない」ことによるものです。
また彼らは相手の話をきちんと聞こうとしないで一方的に主張することが多いため、ASDと同様に「空気が読めない」とみなされることもしばしばです。表面的には、ASDとADHDは似たような行動パターンを取るため、周囲からはなかなか区別がつかない場合が多いようです。
日本人は、「みんな一緒」が前提です。肌の色も住んでいる家も、見ているテレビ番組も似たようなもの。こうした同質性が高い社会では、ちょっとした違いが大いに目立つのです。そのちょっとした違いに敏感であることが、「日本人らしい繊細さ」という美徳につながるのかもしれませんが、それが苦手な発達障害の人は、「変な人」扱いをされてしまいます。これはつらいことです。
地域や職場などの集団において、何かの意思決定を行う場合に、少数意見を有する者に対して、暗黙のうちに多数意見に従わせようと作用する強制力を「同調圧力」と呼んでいます。海外と比較して、日本社会ではこの同調圧力が強いことが指摘されていますが、それを読み取れない発達障害を持つ人には、生きづらい社会であることは明らかです。