社会に出て初めて「生きづらさ」を感じる

またASDにおいても、同様のことが見られます。ASDの女子は比較的症状が軽度で男子のように目立つ問題を起こすことは少ないため、単に「おとなしい女の子」として扱われていることが珍しくありません。

このような理由から、どうしても女性の発達障害は見逃されやすく、実際よりも女性において頻度が少ない、と判断される傾向があるのです。そうして発達障害の発見が遅れることになると、対応が後手に回りがちです。

本来なら、早くから自分の特性を理解して、「こうすれば楽に生きられる」という対応策を身につけていくのが理想です。あるいは自分の特性を逆手にとって、ポジティブに利用していくことも可能となります。

けれども、発達障害の女性は、自らの特性によって、人とのコミュニケーションにおいて深刻なトラブルを招きやすいことや、苦手なことがあるということを理解しないまま思春期を迎え、やがて社会に出ていきます。多くの場合、この時点で初めて、「生きづらさ」を強く感じるようになるのです。

さらに、結婚して妻、嫁、母など求められる役割が増えるにつれて、その生きづらさも増していきます。仕事や家事、育児に難しさを覚えてから、ようやく自らの発達障害を自覚するケースは珍しくありません。

「女の子なのに」と責められてしまう

女性の発達障害ゆえの悩みの、もうひとつ大きな問題としてあげられるのは、周囲から「責められやすい」ことです。

発達障害が原因で社会生活に問題が生じると、周囲から「だらしないからだ」、「努力不足だ」と責められることがしばしばあります。

それがもとで自己否定的になりがちで、自己評価が低くなり、うつ病や不安障害など、精神的な不安定さを二次的にきたすことも珍しくありません。このような二次的な障害については、それだけを見れば、女性も男性も同様に見られます。しかし、女性のほうが「女の子なのに」と強く責められる傾向にあることが大きな問題です。

日本社会においては、男女のジェンダー・ロール(性役割)が非常に固定的です。明るくて、にこやかで、気配り上手で、常に男性を立てる。そんな女性像に縛られています。いわゆる「やまとなでしこ」が、いまだに日本女性の理想像なのです。日本の男性は、若い世代においても、このようなイメージを女性に求めていることが珍しくありません。

「家事は女性がやるべし」という風潮も、男女雇用機会均等法が施行されて30年以上が経つにもかかわらず根強く残り、男性側もそれが当然だと思っています。夫婦共働きの家庭においても、多くの場合、家事と育児は妻が担当しているのです。夫が家事や育児に協力しているといっても、ほんのわずかな部分しか担っていないケースがしばしば見られます。