「演出合戦」が視聴者を過保護に育ててしまった
最後に。長らく続く演出合戦に終止符を打つ機会になり得るとすれば、皮肉にも今なお続く「新型コロナウイルス」なのではないかという私見にたどり着いてしまう。感染防止を第一に、画面からひな壇と呼ばれる人たちが姿を消し、リモート収録も多用された。画面の裏側にいるこちらもリモートを含め、少人数での作業を強いられた。クオリティーを求める制作者としての矜持をいったん横に置き、「できないことは無理をしない」と割り切ったこの制作状況でも、視聴者としては気にならない“それなりの(十分な)放送”ができたのだ。
今のテレビは、視聴者が求めていると思い込んで過剰な演出をエスカレートするあまり、逆に視聴者を過保護に育ててしまった。そんな功罪が、蜃気楼のようにうっすらとながら、それでいて確実に業界全体を覆っているように感じる。視聴者を育てるなんて言葉は甚だおこがましいが、親切すぎるほどスーパーやテロップ、そして副音声を多用する今のやり方は、結果として一面的な捉え方に視聴者を誘導していることは否定できない。多様なメディアが混在する現在、「テレビをどう見てもらうか」という問題提示も、また番組に課せられた役割ではないだろうか。
……と、つらつら述べつつ、「じゃあ今後どんな番組が求められるのか」と問われると、現場であくせく働く人間として、ブーメランの返答に窮してしまう。だが、出演者が命を絶つような番組だけは、二度と制作してはならないことだけは言をまたない。少なくとも、今回の件について検証する番組の制作を考えてほしいと、メディアの末席にダラダラと腰掛ける人間でさえ希求する次第だ。