新しいコンセプトの車の開発には、材料や部品のテスト、試作車による問題発見、各種の信頼性の確保など、普通は立案から販売までに10年近くがかかる。トヨタで「21世紀の車」の立案チームができたのが94年1月。奥田さんが社長に就任したのが95年8月。「プリウス」の名が付いたハイブリッド試作車ができたのが、その2カ月余り後だ。

開発者たちは「21世紀の車と言う以上、2000年までには完成させよう」と急いでいた。それでも異例の速さだ。だが、奥田さんが求めたのは、97年12月の発売。すでに地球温暖化に警鐘を鳴らす人はいたが、まだ、世界でも日本でも大きな声にはなっていない。でも、「鋭い勘と分析力」は時空を超えた。

「プリウス」発売から日を置かず、奥田さんは東富士研究所に現れた。6月に続く2度目のトップ訪問に、レース用マシンの開発拠点に緊張が走る。そして「お前たちがやりたいなら、F1をやってはどうか」という予想外の言葉を聞く。

トヨタも、ラリーや耐久レースなどに参戦していたが、F1グランプリは例外だった。100億円単位とされる開発・運営費もさることながら、豊田英二最高顧問や豊田章一郎名誉会長が「レースにのめり込むと、本業を忘れてしまう」と反対したからだ。その2人を説得した。ホンダに向かう若者客を奪い、フランス工場の建設に併せて欧州で知名度を上げる――その狙いの裏には、もちろん、緻密な分析があった。参戦して7年目。まだ優勝はないが、世界のレースファンの間に大きな存在感を築いた。当時の担当役員は「あの人は、勝負師だ」と唸る。

勝負と言えば、株価の予測が、よく当たる。麻雀、競馬など勝負事も好きで、しかも強い。祖父が三重県津市で証券会社を開業し、父の代まで続いていた。その祖父の血を、受け継いだようだ。

08年12月28日、競馬のグランプリ「有馬記念」。また、レース観戦を楽しみに行くのだろうか。「鋭い勘と分析力」の結果は、いかがであろうか。

(撮影=奥村 森、芳地博之、尾関裕士)