競馬も強い「勝負師」時空を超えた奥田 碩の先見性

<strong>奥田 碩●トヨタ自動車相談役</strong><br>1932年、三重県生まれ。55年一橋大学商学部を卒業後、トヨタ自動車販売入社。79年豪亜部長。82年トヨタ自動車に社名変更、同年取締役。87年常務、88年専務、92年副社長、95年社長、99年会長、2006年より現職。社長在任時にハイブリッド車「プリウス」の発売やF1への参戦など前例のない挑戦を決め、見事に成功させた。
奥田 碩●トヨタ自動車相談役
1932年、三重県生まれ。55年一橋大学商学部を卒業後、トヨタ自動車販売入社。79年豪亜部長。82年トヨタ自動車に社名変更、同年取締役。87年常務、88年専務、92年副社長、95年社長、99年会長、2006年より現職。社長在任時にハイブリッド車「プリウス」の発売やF1への参戦など前例のない挑戦を決め、見事に成功させた。

ずば抜けた「鋭い勘」の持ち主だ。米ビッグスリーの凋落を見ると、改めて痛感する。原油価格が下落しようと、地球温暖化の深刻化も考えれば「脱・石油」が急がれることは、もう世界中の人が知った。とくに、自動車の世界では急務だ。

奥田碩さんは、13年前にトヨタの社長の座に就くや、それを見通すように、ハイブリッド・エンジン車「プリウス」を一気に実用化させた。いま、電気自動車や燃料電池車の開発に拍車がかかるが、「プリウス」がエコカーの先頭を走る。この「鋭い勘」を支えているのが、勝負事でも鍛えている「分析力」だ。

「何も問題がないと思うことが、最もいけない、問題は無限にある」。トヨタ生産方式を支えてきた「ムダの排除」「カイゼン」などすべての源泉が、この認識を生むDNA。奥田さんは、加えて、非トヨタ的な手法への挑戦もいとわない。

「Creative Failure(創造的失敗)を恐れるな」――97年暮れに亡くなったソニーの創立者・井深大さんの葬儀で、ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈さんは、弔辞で井深さんの基本姿勢を紹介した。そして、故人の「独特の直感力と洞察力」に対し、厚い敬意を払った。技術者の井深さんと経理出身の奥田さんとでは、いろいろ相違点はあるが、「独特の直感力と洞察力」と「鋭い勘と分析力」は重なる。