御手洗冨士夫を支える故郷
「半農半漁」ゆえの助け合う共同体意識

<strong>御手洗冨士夫●キヤノン会長</strong><br>1935年、大分県生まれ。61年中央大学法学部を卒業後、キヤノンカメラ(現キヤノン)入社。66年キヤノンUSA出向、79年キヤノンUSA社長。81年キヤノン取締役、85年常務、89年専務、93年副社長、95年社長。2006年より現職。同年より経団連会長も務める。米国時代には13人でスタートしたキヤノンUSAを6000人を超す陣容に育てた。特に「選択と集中」の手腕で高く評価されている。
御手洗冨士夫●キヤノン会長
1935年、大分県生まれ。61年中央大学法学部を卒業後、キヤノンカメラ(現キヤノン)入社。66年キヤノンUSA出向、79年キヤノンUSA社長。81年キヤノン取締役、85年常務、89年専務、93年副社長、95年社長。2006年より現職。同年より経団連会長も務める。米国時代には13人でスタートしたキヤノンUSAを6000人を超す陣容に育てた。特に「選択と集中」の手腕で高く評価されている。

超多忙のなかで、実に、勉強をする。縁の薄い財界活動に飛び込んだためかと思ったら、そうではない。論旨や要点を頭に入れて、意思決定の会議や記者会見で原稿やメモをみずに言い切れるようにしている。とくに数字には強い。無論、キヤノンの経営問題でも同じだ。経営者には「学習力」が不可欠、と教わった。

11月下旬の3連休、御手洗冨士夫さんは自宅で、経団連が策定中の「経営労働政策委員会報告」の原案を、じっくり読み込んだ。報告は、労働問題に関する経営側の基本方針と翌年春闘での賃上げに対する姿勢を示す。前年は「出せる企業は出そう」と、賃上げにより消費が盛り上がるよう期待する内容だった。だが、今回、世界的な景気後退で環境が違う。

「ベアよりも雇用維持」――これが、本音だ。経済界の大勢も、同意する。前・経団連会長の奥田碩さんは「経営者は、会社の財産を吐き出しても雇用を守るべきだ」と言い切った。御手洗さんも、雇用を減らして賃上げの原資を生み出すようなやり方は、否定する。無論、業界や個々の企業によって、事情は一様ではない。出せるところは、出せばいい。出す余裕がないところは、せめて雇用を維持してほしい。それが、日本にとって「全体最適」だ。3連休で、そう確認した。

ドライな雇用政策への抵抗感は、66年から約23年いた米国で根づく。ドル・ショック後の不況の際、キヤノン史上例のないレイオフを迫られた。創業期の仲間に解雇を告げる辛さに、「もう二度とやりたくない」との思いが染み込んだ。