売り物のようにさらけ出された記憶とエピソードは、痛々しさとともにほろ苦い笑いを読者にもたらす。人間のどうしようもなさや、彼女のむき出しの魂に触れて、私はふと頁を繰るのをやめて立ち止まってしまう。
土埃の匂いまでを立ち昇らせる過剰さ
ルシアは人のことをじっと観察している。「セックス・アピール」を教えてくれた従姉のこと。ろっ骨を折ったジョッキー。物忘れの激しい老女の雇い主。自分と同じようにアルコール依存症だった母のこと。その観察眼は、禁断症状に襲われて震えながら酒に手を伸ばす自分にも向けられている。
自身や人に対する許しには、常に死の気配や記憶がまとわりついている。読者はその気配に呑まれ、ルシアの人生と、土地に刻まれた記憶に奥深く分け入っていく。
「最後にゴミ捨て場に行った日は風が吹いていた。砂がキラキラたなびいて、おかゆの上に降った。ゴミ山から立ち上がる人影は舞い上がる土埃をまとって、銀色の亡霊かダルウィーシュのようだった」
土埃の匂いまでを立ち昇らせるような過剰さと色にあふれた叙述は、おそらく彼女とともに生きていた人が普通に見ていた光景ではない。彼女の内面の矛盾と繊細さによる心象風景が、まるで心をえぐるかのように突き刺さるのは、自分がどこかでこういう言葉を求めていたからだと思う。
心臓をえぐりだして手に取って見せる彼女は、きっとまた微笑んでそれを胸にしまい、煙草を吹かすのだろう。
胸の中にしまわれている凝縮された人生の光景を共有することで、彼女は過剰な自分というものを何とか飼いならしていたのかもしれない。本当にセクシーな人だ、と思った。