松田優作さんが亡くなって30年がたつ。しかし、ドラマ「太陽にほえろ!」で演じたジーパン刑事の伝説は、いまも古びていない。プロデューサーを務めた岡田晋吉氏は「当時はまったくの無名俳優だったが、彼の演技を初めて見たとき、絶対に逃したくないと思った」と振り返る——。

※本稿は岡田晋吉『ショーケンと優作、そして裕次郎 「太陽にほえろ!」レジェンドの素顔』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

1988年5月13日、日本から参加した(左から)女優の田中裕子、吉田喜重監督、俳優の松田優作(フランス・カンヌ)
写真=AFP/時事通信フォト
1988年5月13日、日本から参加した(左から)女優の田中裕子、吉田喜重監督、俳優の松田優作(フランス・カンヌ)

人と人のつながりが新たな出会いを呼んだ

「岡田さん、ちょっと面白いやつがいるんですよ」

そう言ってきたのは、村野武範だった。

「太陽にほえろ!」を始める前に、学園ものの「飛び出せ!青春」(1972〜73)という番組を制作していて、その撮影現場での出来事だ。幸いこの番組も大ヒットし、森田健作の青春ものを1本挟んで、再び「高校学園ドラマの先生もの」を企画しようと、主役の新人を探していた時のことだ。「飛び出せ!青春」といってももう50年近く前の話だ。ご存じない方がおられると思うが、青い三角定規が歌う主題歌の「太陽がくれた季節」は今でも歌われているので、聞かれた方はおられると思う。

「飛び出せ!青春」の主演を務めていた村野武範は当時、文学座に所属していて、後輩の文学座の研究生松田優作を推薦してきたのだ。その時、松田優作という名前を初めて知った。