安倍政権は専門家会議の意見に向き合っていない

テレビ会議後、小池百合子都知事は安倍晋三首相と面会した。その面会後、3月14日から施行された改正特別措置法の「緊急事態」の宣言について記者団に問われて彼女はこう語っていた。

「感染の拡大を防ぐためにも、国の大きな役割を果たしていただく段階かと思う」

緊急事態宣言の発令については3月23日の記事「専門家を無視し、強硬策だけを唐突に示す安倍政権の怖さ」で書いたのでここでは詳しくは触れないが、私たち国民の私権を厳しく制限する戦時中の戒厳令のような宣言であり、抜いてはならない伝家の宝刀である。

小池知事は都知事選を前に自らの存在を強くアピールしたいのだろうが、彼女の言葉を考えると、近く緊急事態が宣言されるような気がしてならない。

感染症をコントロールするには、専門家の知識と勇気と使命感が必要だ。専門家たちが意見を交換し、そのうえでバランスの取れた政策を実施すべきだ。しかし安倍政権は専門家会議の意見に向き合っていない。学校の一斉休校もなし崩しに行われた。

防疫の基本は人の移動を止めることだが、バランス感覚を欠いて実施すると思わぬ事態を招く。そのひとつがコロナショックだ。政治家は「ロックダウン」という言葉を使って脅すのではなく、自発的に不要不急の外出を取りやめてもらうよう丁寧に求めるべきだ。そうすれば不要な買いだめをする市民も減るだろう。強硬策をとるほど危険なウイルスではないことを理解し、正しく恐れることが重要だ。

コロナ禍に対し「終息」より「収束」を使う記事が増えてきた

「東京五輪・パラリンピックの開催が、『1年程度』延期されることになった。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長と安倍首相が合意し、IOCの臨時理事会も満場一致で承認したという」

3月26日付の朝日新聞の社説の書き出しである。

見出しは「五輪1年延期 コロナ収束が大前提だ」。この見出しで気になるのが「収束」の文字だ。この「収束」には収まる、一定の状態に落ち着くという意味があり、一般的に混乱や事態が収束するというように使う。もうひとつの「終息」には終わるという意味があり、感染症や疫病にはこの「終息」を使用する。

朝日社説が「収束」の方を使ったのには、新型コロナウイルスがもたらしている異様な社会の事態や混乱が収まるという意味を込めているのだろう。