かつてよりも「デマ」の影響力が大きくなった
(テレ朝news『「コロナに効果」と石がフリマで…便乗商法に警鐘』(2020年3月3日)より引用)
店頭のみならずニュースやSNSでも「紙製品がなくなるのはデマだ」と再三の呼びかけがなされているにもかかわらず、もはやこの流れはだれにも止められない状況になっている。
デマによって一度火がついてしまった集団的パニックは、情報コミュニケーション技術が発展した現代社会において、ますます克服困難になっている。デマはかつてよりもその影響力を強めており、今後の大きな社会的課題となりえるだろう。
「些細なことば」が巨大なうねりを作り出す
デマによるパニックの特徴として、もはや発信源がどこだったのかを特定することができない(また、拡大してしまったあとは特定に大した意味がない)という点が挙げられる。
今回の騒動も「この人物がデマの発端だった」とする情報をいくつか目にすることができたが、もはやそれが本当に震源だったのかを確定することはできない。「こいつがデマの発端だ!」という犯人捜しの指摘それ自体も、事態が進展した状況となってしまっては、真偽不明な「デマ」となってしまう可能性を有していることは留意しておきたい。
デマのきっかけとなったのは、だれかが何気なく発した、じつに些末な一言であることがほとんどだ。だれかの何気ない小さなことばは、蝶の羽ばたきが対岸の嵐をもたらすバタフライ・エフェクトのように、やがては巨大なうねりを作り出していくこともある。1973年12月、ほんの数日間で、20億円もの預金が一気に引き出される取り付け騒ぎにまで発展した「豊川信用金庫事件」は、通学中の女子学生たちの何気ない会話がその発端となっていた。
今回でいえば「紙製品は中国が生産している。マスクも紙製品であり、中国が生産していた。ということは、きっとほかの製品も、マスクのようにまもなく品薄になってしまうに違いない」という、出所のわからない筋書きが、その波紋を大きなうねりへと変貌させたのだ。