かつてよりも「デマ」の影響力が大きくなった

新型コロナウイルス対策を口実にした便乗商法が横行していました。マスクを無料配布するというメールが届いたり、金相場が上がるため金を購入するよう勧誘されたなどの事例が相次いでいるといいます。さらに、「石」までが。大手フリマサイトではコロナ対策として石が売買されていて、売り切れが続出しているものも。売られていたのはわずかな放射線を発する花崗岩かこうがんなど。安いものは800円、高いものは1万2000円以上の値がついていました。

(テレ朝news『「コロナに効果」と石がフリマで…便乗商法に警鐘』(2020年3月3日)より引用)

店頭のみならずニュースやSNSでも「紙製品がなくなるのはデマだ」と再三の呼びかけがなされているにもかかわらず、もはやこの流れはだれにも止められない状況になっている。

デマによって一度火がついてしまった集団的パニックは、情報コミュニケーション技術が発展した現代社会において、ますます克服困難になっている。デマはかつてよりもその影響力を強めており、今後の大きな社会的課題となりえるだろう。

「些細なことば」が巨大なうねりを作り出す

デマによるパニックの特徴として、もはや発信源がどこだったのかを特定することができない(また、拡大してしまったあとは特定に大した意味がない)という点が挙げられる。

今回の騒動も「この人物がデマの発端だった」とする情報をいくつか目にすることができたが、もはやそれが本当に震源だったのかを確定することはできない。「こいつがデマの発端だ!」という犯人捜しの指摘それ自体も、事態が進展した状況となってしまっては、真偽不明な「デマ」となってしまう可能性を有していることは留意しておきたい。

デマのきっかけとなったのは、だれかが何気なく発した、じつに些末な一言であることがほとんどだ。だれかの何気ない小さなことばは、蝶の羽ばたきが対岸の嵐をもたらすバタフライ・エフェクトのように、やがては巨大なうねりを作り出していくこともある。1973年12月、ほんの数日間で、20億円もの預金が一気に引き出される取り付け騒ぎにまで発展した「豊川信用金庫事件」は、通学中の女子学生たちの何気ない会話がその発端となっていた。

今回でいえば「紙製品は中国が生産している。マスクも紙製品であり、中国が生産していた。ということは、きっとほかの製品も、マスクのようにまもなく品薄になってしまうに違いない」という、出所のわからない筋書きが、その波紋を大きなうねりへと変貌させたのだ。