監督は母、プロデューサーは父
映画のプロデューサーとは、才能に奉仕する仕事です。
たとえば、北野武さんが監督デビューを飾った『その男、凶暴につき』。この企画はもともと、深作欣二監督が撮る作品に武さんが出演する、という話から始まっていたんです。ところが、打ち合わせを進めるうちに深作監督と武さんの間で、どうしても折り合いがつかない部分が出てきてしまった。深作監督が「自分が降りるか、武さんが降りるかだ」と言い出すまでに事態が深刻になったときに、武さんが「俺が監督をやりますよ」と宣言したんです。
当時、武さんは芸人としてはとても有名だったけれど、監督は未経験。だから、僕は内心とても驚いたんだけど、武さんにどう撮るのか具体的に聞いてみると、本を読んだ段階で画が浮かんだ、と言うんです。話を聞くにつれ彼の本気度が伝わってきて、私も、武さんの構想に惚れ込んでいった。とはいえ、出資元は「監督が変わるならお金は出せない」となるわけです。
プロデューサーが重要になるのは、こういうタイミングです。僕としてはもう武さんに可能性を感じていて、なんとか彼の監督作品を世に送り出したいと思っている。情熱に突き動かされながら、なんとか人々に作品が届くところまでの道をつくっていくことが、プロデューサーの仕事の醍醐味なんです。