被災地で落語を演じて思ったこと

それにしても、あの大震災からまだ10年も経っていないというのに、またしてもの大災害。そしてそのたびに復興するというこの国は、改めて強い国だなあとつくづく思います。

震災による大津波に飲み込まれてから9カ月後、岩手県宮古市のある病院で落語会を開催していただいたことがありました。医療関係者の中には、家族が亡くなったりするなど自らが被災者であるにも関わらず、目の前の怪我人を懸命にフォローしている人たちが大勢いたとのことです。知り合いを通じて「そんな彼、彼女らをぜひ落語で癒してあげてほしい」と依頼を受けてのことでした。

反応はとてもよく、終わってから「やっと笑えるようになりました」といった声に触れるたび、胸がいっぱいになったものでした。「日本には落語があるんだ!」と快哉を叫びたいような気持ちにすらなりましたっけ。

日本とは、こうして災害が起きるたびに、何度も立ち上がってきた国なのでしょう。ときに、そんなDNAを先祖代々受け継いできた、縦の繋がりに思いを馳せたくなります。

日本人の「自分より他人」の心模様

「地震、雷、火事、おやじ」は、昔から「恐怖心を象徴する言葉」としてよく知られています。ちなみに諸説ありますが、最後の「おやじ」は「父親(おやじ)」ではなく、「おおやまじ(台風、強風)がなまったもの」ともいわれています。

そして何より、巨大地震と苛烈な気象の両方が毎年のように襲う国は、世界広しといえども日本だけともよく耳にします。たしかにヨーロッパ諸国などと比較してみると、ドイツやフランスなどのように、震度6以上の地震がここ100年いっさい発生していない国が多いとのこと。

さらには高緯度に位置しているおかげで、熱帯低気圧である台風の影響を受けることもまずありません(近年、異常気象による熱波のニュースはよく聞くようにはなりましたが)。

それを踏まえてみると、ざっくりと「自然災害に翻弄される場所にある日本」と「自然災害をほぼ免れているヨーロッパ」と区分けできるかと思います。

ここで、そんな地理・地勢上の違いが、そこに住む人間のキャラクター形成に大きく関与するのではないかというのが私の仮説です。つまり、ヨーロッパのような自然災害の少ない国々で生活していると、周囲のことをあまり気にする必要がなくなり、結果として気にかけるのはまず「自分自身」となります。

片や日本の場合、自然災害の頻度が高いため、まず「自分より他人」の心模様が醸成されたのではないでしょうか。

やや暴論に思うかもしれませんが、これはあながち間違っていないと私は考えています。