心の奥底には強迫観念も似た不安感

災害多発エリアに住む我々は、常に不安が先走り、それが性格にも反映されています。一方で、対照的な環境に住むヨーロッパ各国の人々は、おおらかでいられるのかもしれません。

それらが長年かけて積み重なり、日本人には「先行き不安」を解消するために「他人と分かち合う共感力」が、ヨーロッパの人々にはおおらかさとセットになる「まず自己を主張する力」が、それぞれデフォルトになっていったのではないでしょうか。

実際、日本人の共感力の高さは、避難場所での炊き出しの際にも横入りなどしない礼儀正しさなどに表れています。こうした「自己主張よりもまず周囲を気遣い、他人を想像する」訓練が、何世代にもわたってなされてきたからこそ、日本は暴動などの発生率が低い国でいられるのかもしれません。

日本人の心の奥底には、「ズルをすると、自分が困った時に逆にズルされてしまうかも」という強迫観念にも似た不安がきっとあるはずです。それがマイナスには働く現象こそが、昨今取り沙汰にされている「忖度」なのでしょう。

さて、ここからやや飛躍しますが、こういう「他人への想像力」こそが、落語を生む土壌になったと私は考えています。

これは一体どういうことか? 落語を育くんだ江戸時代を思い浮かべてみましょう。

覗き見る文化と、見えるけど見えていないフリ

人口100万人を超える江戸は当時、世界最大の都市として知られていました。そのエリアは今の23区よりもはるかに狭く、御城府という江戸城を中心とした範囲に限られ、明らかな過密状態にありました。

多くの人が九尺二間の手狭な長屋に一家で住んでいたため、ある災害が日常化します。それは火事です。

「火事と喧嘩は江戸の華」といわれたように、地震や台風のみならず、人災の代表格である火事が追い討ちをかけてくる。すると人々は、ますます「他人目線」を意識するようになります。

まして当時は防災意識などはほとんど皆無で、壁などは防火仕様でもなんでもなく薄っぺら。必然的に隣の家の夫婦喧嘩なども丸聞こえだったでしょう。

また、ひょいと垣根越しに覗けば、隣の娘さんが行水に浸かる姿も見えたはず。そこで培われたのが「聞こえるけど聞こえないフリをする」作法であり、「見えるけど見えていないフリをする」作法であったことは想像に難くありません。

そんな生活を日々重ねていれば、他人の顔色や口調だけで何を考えているか」を掴むことなど容易かったはず。そう、これが落語を受け入れる下地となっていったのです。

つまり、観客の間にこうした土壌ができていたからこそ、下半身の動きを制御した、演者の言葉と顔の表情だけで物語を進めていく落語が受け入れられた、ということです。