導入としての「気楽で楽しい単なる観光イベント」
「気楽で楽しい単なる観光イベント」に来てみたら、初めて現代アートというものに触れられて、そして来場者はちょっと考えるようになるというアフォーダンス(導入)が組めれば、新しいファンが増え、その結果として「表現の自由を守ることは大事」と考えてくれる一般のサポーターもまた増加するであろう。
「表現の不自由展・その後」の展示再開にあたって、名古屋市の河村たかし市長は愛知芸術文化センターの前で座り込みを行い、多くの芸術文化の愛好家から非難を浴びた。だが、彼を非難してみたところで、あまり意味はない。彼は日本に多くいるであろう「現代アートの展覧会になんぞ行ったことのない中高年のオヤジ」の典型にすぎないからだ。
仮に美術展が「気楽で楽しい単なる観光イベント」になれば、家族に引っ張り出されたり、ちょっとした暇つぶしに行くようになり、そこでアートの面白さに気づき、アートファンになってしまうかもしれない。「観光イベント」にするとは、さまざまな障壁を下げることだ。それはアートに関心のなかった人を会場に呼び込む仕掛けとも言えるのである。
ここまで5回にわたってあいちトリエンナーレ2019を考察してきた。連載をご覧いただけばわかるように、筆者は、日本の芸術文化に「観光」というクッションを入れることを提案したい。「観光」は、新しい分断を避け、芸術文化にイノベーションをもたらすことに寄与するはずだ。