平面作品を覆う新聞紙が「赤旗」だった謎

豊田会場の美術館の展示作品にも影響が出ていた。レニエール・レイバ・ノボの作品の中には、毛沢東やカストロの姿を消すことによって権力への懐疑を表すものもあるそうだが、こちらの会場に展示されていた「革命は抽象である」は、「不自由展」の展示中止によって、抗議の意を示すためにオブジェにビニールが被せられるとともに、平面作品は新聞紙で覆われてしまった。

当初この展示室に入ったとき、元の作品が事実上見られなかったため筆者としては大いに残念に感じたものだったが、平面作品を覆っている新聞紙の一部が日本共産党の機関紙である「赤旗」となっており、新鮮な驚きを持つに至った。

ノボの20枚の平面作品のうち、3枚ははっきりと「赤旗」として確認できる新聞紙で覆われていた。公立美術館の美術作品として、日本共産党の機関紙を目の当たりにした私は、いろいろと思い悩むことになる。

撮影=井出明
新聞紙で覆われてしまっていたレニエール・レイバ・ノボの平面作品。

美術展で政党機関紙を「見せられる」という状況

美術館にあいちトリエンナーレの展示作品としてオーソライズされた状態で展示されているとすれば、それは愛知芸術文化センターにおける慰安婦を表象する少女像や昭和天皇の肖像写真が燃える(ように解釈されうる)映像作品などと異なり、直接的な政治活動としての意味を持ってくる。

図書館に赤旗があるのというのは、情報にアクセスしたい人がそれを見るだけだから、特に問題はない。だが、美術展を見に行った人が政党機関紙を「見せられる」という状況は、公立美術館の持つべき政治的中立性が侵されていると言えないだろうか。

この「新聞紙」は、1枚を除き「表現の不自由展・その後」に関する記事が掲載されたものであるため、覆いに使われることには論理的整合性が感じられるものの、なぜここにこれほどの「しんぶん赤旗」が集積しているのかは、私の想像力を刺激する。

作家は「共産党の機関紙」とわかっていて選んだのか

豊田の街にはもちろん労働組合関係者もたくさん住んでいるものの、トヨタ系の組合は基本的に共産党と関わりが薄い。ノボが、新聞紙で作品を覆って、「表現の不自由展・その後」の展示中止に抗議の意を示したかった点については理解できるが、この3枚の赤旗はどういった経緯でここに運ばれてきたのだろう。

キューバ人アーティストが、「これは共産主義政党の機関紙である」であるという認識を持っていたかと言えば、それには疑問符がつく。元々の彼の作品が共産主義革命に対する皮肉を含んでいたそうであるから、もし当人が理解していたとすると、そういった素材は避けた可能性が高いのではないだろうか。

とすれば、アーティストが「表現の不自由展・その後」に関する記事が載った新聞を集めてほしいというリクエストを出した後に、周辺の人々から意図的にか、あるいは自然の流れなのか、とにかく赤旗が届けられたということになる。