国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」が10月14日、75日間の会期を終えた。企画展「表現の不自由展・その後」がわずか3日で中止になるなど混乱したが、会期末まで1週間に迫る10月8日になって展示を再開。抗議のため展示中止となっていた作品などもすべて元に戻った。現地を視察した観光学者の井出明氏は「今後のためにアートと大衆の分断を避ける手立てを考えるべきだ」と指摘する――。(第5回/全5回)
写真=時事通信フォト
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の最終日を終え、拍手する芸術監督の津田大介氏(右から3人目)と大村秀章愛知県知事(同2人目)ら=2019年10月14日、名古屋市東区

「慰安婦像」を扱った部分が見えなくなっていた

今回は、筆者が視察した9月16日時点での展示内容を前提に、あいちトリエンナーレが残した課題について考察したい。

「不自由展」の会場は愛知芸術文化センターだったが、その影響は豊田会場の作品にも及んでいた。たとえば、小田原のどか「↓(1946‐1948/1923‐1951)」については、いわゆる「慰安婦像」を扱った部分が見えなくなっており、このことは、公式のウェブサイトでは告知されていなかった。ステートメントを読めば経緯がわかるのだが、現場の悩みを感じさせる。

Photo: Takeshi Hirabayashi
あいちトリエンナーレ2019の展示風景。小田原 のどか《↓(1946‐1948/1923‐1951)》2019

彼女の作品「↓(1946‐1948)」「↓(1923‐1951)」については、豊田会場担当のキュレーターからの依頼を受けたという前提があるものの、長崎の被爆や戦前の軍人像の台座を題材にしている以上、大規模な空爆を経験し、かつて軍都であった名古屋でも対峙したかったというのが鑑賞者としての率直な思いである。もちろん豊田にあることによってこの作品自体の価値が下がるわけではないのだが、仮に名古屋にあれば観光学者としての私の想像力はより掻き立てられたであろう。

時間と空間を相手にする観光学を専門にしているからかもしれないが、私は各種のインスタレーションを見たとき、妄想のように「あの場所においたらどうかな?」とか「あっちの広場においたらどうだろう?」などと思い浮かべる。現実には様々な制約があり、作者にせよキュレーターにせよ、「鑑賞者は勝手なことを考えるものだ」と感じるかもしれないが、屋外インスタレーションをどこにおいたらもっと楽しめるだろうかと考えることは、芸術の新しい楽しみ方の一つだと思う。