これから子供たちには何を教えればいいのか。哲学者の内田樹氏は、「それは英語やプログラミングではない。ゲームもスマホもマンガも取り上げて、『何もない場所』に放り出すのがいい。そうすれば自然と『芽』が出てくる。芽が出る先にすでに『何か』があったら、本当の意味での『創造』は起きません」という——。

※本稿は、雑誌『プレジデントFamily2019秋号』(プレジデント社)の記事の一部を再編集したものです。

現代の子供はどんな状況で育てられているのか

今の日本は形式的には民主主義社会ですけれど、実際には、それを適切に運用するノウハウをもう市民たちは有していない。教わったことがないからです。だから、今の日本の家庭は民主的でもないし、家父長制でもない。まことに中途半端なものになっています。

なぜそうなってしまったのか。

戦前の家父長制下では、たとえ中身がすかすかでも、家長は黙ってそこにいて、定型的に家父長的なことを言っていれば、それなりの威厳があった。ところが、民主的な家庭では、父親は正味の人間的な力によって家族を取りまとめ、その敬意を集めなければならない。

内田樹さん(『プレジデントFamily2019秋号』より)撮影=森本 真哉

でも、手持ちの人間的実力だけで勝負できるような父親はほとんど存在しなかった。家父長制の「よろい」を剥ぎ取られて、き出しになった日本の父親はあまりに非力だったのです。

同じことは学校でも起きました。上に立って威張っていた男たちの「正味の人間的実力」を測ったら、さほど実力がないということが露呈してしまった。それが60年代末からの全国学園紛争です。学生たちから「あなたたちは教壇で偉そうに説教を垂れているけれど、個人としてどれほどの人間なのか? 平場で勝負しようじゃないか」と言われた大学教師のほとんどが腰砕けになってしまった。象牙の塔の権威がそれで崩れたのです。

家庭でも学校でも、組織をとりまとめる仕組みそのものが瓦解がかいしてしまった。だから、その反動で権威主義的なものを求める人々が現れることには歴史的必然があったのです。

民主化を抑制するもう一つの力は思いがけないところから登場しました。日本社会全体の「株式会社化」です。僕が生まれた50年、日本の農業従事者は人口の49%でした。だから、久しく組織運営は村落共同体をモデルに行われていた。長い時間をかけてゆっくり満場一致に至るまで議論を練り、一度決めたことには全員が従い、全員が責任を負う。

でも、株式会社ではCEOに全権を委ね、その経営判断が上意下達される。経営者のアジェンダに同意する人間が重用され、反対する人間は排除される。経営判断の適否を判断するのは従業員ではなく、マーケットです。

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